脇町道場  井川氏  一級    H31.1.17

                 合気道との出会い
 息子が小学校に入学する時、ちょうど新聞に入っていた徳志館の合気道のチラシ。
自分は武道は正直苦手で、中学は駅伝部。高校ではサッカー部。大学時代は全然運動もしませんでした。しかし、40を過ぎて自分でも何故か分からないが、無意識のうちに初マラソンに挑戦。自分の中で高校のときに持ったわだかまり(話すと長いのですが)を漸く解くことが出来たと思った時期でした。
 

 そのチラシを見て当初は息子に習わすつもりでした。息子は体格も細身でしたが、友達が柔道で活躍しているのを羨ましがっていて、しかし息子の体格や性格からして力で戦う武道は無理だろうと思ったところに「試合はありません」の文字!これや!と思ってメールで高橋先生とコンタクトをとり、見学へ。

「おや?なんだこの雰囲気は?」自分の感じていた武道のイメージじゃないのがすぐに感じられました。 高橋先生をはじめ徳志館の先輩たちが、本当にやさしく教えてくれて、息子も自然にやる気が出ているのが分かりました。
 

 何かしら私自身行く前は、少しは興味があるけどなぁ、ぐらいに思っていたのが、息子と見学&体験しているうちに徳志館の合気道の魅力に引き込まれ、息子に「やれそうか?」と聞くと「うん!」という答え。更に「一人でも稽古行けるか?」と聞くと「ううん?」「お父さんとだったらいける?」「うん!」と言う。更に殺し文句が高橋先生から一言「井川さん、段取りましょう!」と。
武道が苦手な人間が、その魅力を感じはじめたときに段を取るという夢物語。息子と一緒にやろう!と決めました。

それから、稽古を重ねるにつれて徳志館の理念である、
「人を打つ技より 人の心を打つ業」  
「人を転ばす技より 人を喜ばせる業」
「人を倒す技より 人を立てる業」  
「破壊の技ではなく和解の業でなければならぬ」

 というものに共感を持ち、そして高橋先生の心がこもった業を体感して、これは本当に今の社会に必要な武道であると感じました。
合理的な考え方や点数や勝ち負けや力で物事を判断することが多い今の社会に、それ以外の「心」を意識する価値観は本当に大事だと思います。息子にはこの徳志館の理念を体現できるように大人になっても是非続けていって欲しいし、息子と共にそれを体現できれば、何かしら自分の中でも、人生のわだかまりを解消できるような気がします。息子よ!共に頑張ろう!
そして、高橋先生はじめ、徳志館の仲間に感謝です。
これからも、宜しくお願いします!ありがとうございます!

 

追記

 武道に年齢制限や定年制度はありません。はじめたいと思ったのが武道を始める最短であります。合気道は老若男女ができる武道です。だからこそ、気を使う事の出来なければならない武道なのです。厳しいだけが武道ではありません。これからは心の時代でしょう。便利さや快適さを究極に求めすぎた現代において、人との対話、自分との対話、家族との対話、世界との対話を自分の豊かな感性で切り開くことが大切だと感じます。         

                      徳志館館長 髙橋

三好道場門下生  中山氏   初段  H30.8.28

 自分にとっての合気道は、恩と忠と愛です。
何がどうしてかを書かせて頂くことをお許し下さい。初めて合気道と出会ったのは17歳の時、友人に誘われて先生とお会いしたのが始まりでした。

 礼儀の成っていない自分に対して、正座の仕方や立ち居振る舞い、礼の仕方などの作法や人として大切な事を教えて頂きました。一番に驚いたのは、稽古中に先生のお話を聴かせて頂く時間があった事です。世間を知らない若者に対して、真剣に時には冗談を交えて心の在り方や生き様に関する話、言葉の意味などを聞かせて頂きました。当時は若さ故にか、こういった考え方もあるのかと思うばかりでしたが、今となっては自分の人格の大切な一部となっています。

 何事も真剣に話、教えてくれる先生に対して稽古やそれ以外の時間を通し自然と尊敬の念を持つようになり同時に教えてくださった事に感謝し恩を感じていました。

 しかし、学生時分で大学への進学に伴い合気道とも先生とも関わりが薄くなり自然と足が遠のき、恩を感じていながらも不義理な行動を取ってしまいました。ただ心の中には合気道が在ったのかとも思います。社会人となり生活の中で、このままでは駄目だ心が崩れてしまう。と思ったときに三好道場の門を叩いていました。

 不躾甚だしく、事前に連絡も入れずにです。それでも先生は、良く来たねと笑顔で迎えてくれました。自分勝手な理由で足が遠のき、かと思えば急に稽古に飛び込んだ自分を怒ることも無く当時と同じように迎えて頂いた時に、合気道をしたいと言うのは理由であって、ただ道場で先生に会いたかったのだと実感しました。そこから自分の合気道は再出発しました。

 しかし、過去の不義理な行いを無かったことには出来ませんし、したくもありません。だからこそ、この恩に報いたいと心から想うのです。未熟な自分にどんな恩返しが出来るかは分かりませんが、出来る事をやりたいと。不義理者にそう想わせる程の魅力が先生に、徳志館の合気道には在るのです。徳志館の理念、子供たちと取り組む稽古、稽古を通して出会う方々、愛をもって接してくれる先生、どこをとってもその魅力があります。だからこそ、合気道を愛し、忠をもって恩に報いたい。これが自分にとっての合気道なのです。

 

追記

 たとえ、自分を責める事に関しても、私は何も気にしてはいないし、彼に対する評価に変わりはない。基本私は人に期待をしていない。これは、期待をするとその期待に応えなくてはならないからである。そして期待がゴールになってしまうからだ。

私は修業時代に正岡師範から期待をされた事はない。だがしかし、期待をしていないがゆえに、想像をこえるものを生み出せる。

 大事なのは初心であり、今を大切にする心である。彼の今が大事であり、彼は徳志館もとい髙橋という武道家には必要な人財である。そこが揺らがない限り、あるがままの彼で良いし更なる成長をしてゆくだろう。楽しみである。                                                   館長    髙橋