超然武道、超越武道

 1月2日に正岡師範、舛田先生に御挨拶に高知に行かさせて頂きました。1月2日は正岡師範の誕生日であります。御年76歳になられます。しかしまだまだお若く、一切の衰えがない。まさに武道の達人といった方。

 私と奥さんと息子と島根の兄貴分の中島氏と午前中に舛田先生の道場に訪問させて頂きました。そして、熊野神社に参拝をさせて頂きました。合気道の発展と武道教育の普及に尽力することを誓いました。

 そして、午後から正岡師範の稽古を行いました。なんとも豪華な合気道の時間でしょう。そして、15時から正岡師範と話し合いの時間をもうけさせていただきました。気付いたら19時半、4時間半話しっぱなし、その間息子は2回うんこしました。

 そして、話し合いをかいつまんでいきますと、合気道にはこれから小さくならない「超然武道、超越武道」とおっしゃられました。どの人とも繋がり、学生、国際、一般を超えると解釈され、開祖の技や心を今こそ体現する事こそ意味があるとのことです。

 たしかに、開祖が九州や大阪、茨城、京都などに出向かれて合気道をされなかったら今はありません。東京の門人だけで区切り、一切の広がりがなかったら今の合気道はありません。徳島、香川、高知、愛媛の存在もありえないことになります。

 今自分に出来る事。それは、合気道を真剣に紳士に情熱的に命を懸けるのみです。

次回より多感録3に移行します。多感録2をご覧くださりありがとうございました。

<特別寄稿> 髙橋館長の兄弟弟子の玄風より

正岡玄舟師範語録

・一に止まると書いて正しいと読む。

・殺人・強盗・強姦・放火・自殺、これだけはしてはいけない。それ以外の事なら何でも私に相談に来なさい。

・合気道の稽古の何が素晴らしいかって、同化的な稽古が素晴らしいんですよ。

・業が掛からない原因は全て心にある。

・二元対立から一元絶対へ。絶対とは「対するを絶す」事である。

・言葉は心の食べ物である。

・「愛」とはあの人が好きとか嫌いとか、そんなものじゃない。もっと大きな宇宙一杯の愛ですよ。

・「掌」は「たなごころ」と読むんですよ。

・円じゃない。螺旋なんだ。右手は左螺旋にて天へ左手は右螺旋にて地へ、そして中心に帰一する。螺旋には推進力があることも忘れてはいけない。

・合気道は私が残す聖書である。

・師とは志と詩と死を教え給う。

・温故知新、の後に続く言葉を知っているかい?

・先人の跡を求める事なかれ、先人の求めたる処を求めよ。(松尾芭蕉)

世界

 世界は広い。そして世界から日本に3000万人が旅行に来ているらしいです。3000万人が日本に来ているんですが、あれ?全然三好・脇町で見かけねーぞって思ってません?あなた・・・するどいですね。やはり京都、東京・大阪などの大都市や観光都市に偏っているのです。世界から見たら私たちも世界の人ですが、世界の人は徳島をどう知りますか?ハワイはみんな知っていますよね。サラッチャイ・オン・パサートって知っていますか?どこの地域か。実はサラッチャイは私の知り合いです。地域ではなく人物です。彼はギターの上手いタイ人です。いいやつでした。笑顔が素敵なサラッチャイ。元気かな?

 交通の便はかなり良くなった現代。なんの売りがあるのでしょうか?すだち・鳴門金時・フィッシュカツ・宮内のあんぱん・ちょんたちょんぺい・ぶどうまんじゅう・半田そうめん・あゆまんなどがあります。その他たくさんあります。徳島の自慢です。しかしわたしはあんこは食べません。

 時代が豊かになれど活気がなければいけません。徳島で・・・三好で・・・家で・・・とだんだんと行動範囲が狭くなってしまいがちです。この世界は自由なはずです。旅行客が楽しめる街にするべきだと感じます。だって徳島のライバルはなんたって東京ですから。頑張れば大丈夫です。

 私は私の合気道で世界の人たちが集まるような合気道の団体を目指します。いつになるだろうか。けどやります。だって、合気道はそれぐらいの可能性は秘めていますから。私のライバルは東北の最大勢力である神武錬成塾です。必ず追いつきます。かなりの差がありますが、だからこそやりがいがあるってもんです。

無題

今回はへそ曲がりのような屁理屈を書きます。

 今年もあと少しで終わるとよく言われますが、実際は意味は違うと思います。何故なら、今年が終わるというのが少し違うわけですね。今年が終わる・・・・。では1月1日になれば今年が始まる?なんかスッキリはしないですね。1月1日になった一日と前日の12月31日の一日の違いは気候も体調もそんなに変わりませんよね。1月1日になった瞬間に空が黄金になったら劇的に変わったなと感じます。

 しかし、1月1日から365日間地球が太陽の周りを1周しただけなんですよね。例えば、6月31日で、今年が終わって7月1日が新年なら夏休みはありません。182.5日で1周したことになります。一年が半年しかなければそうなる計算です。地球が2倍速で1周したらそうなります。4倍速なら、4月で今年が終わります。1月が春、2月が夏、3月が秋、4月が冬になりそうですね。無理やり四季に当てはめましたが、蝉なんかは1週間の命が1日と7時間30分となります。恐ろしく尊い命ですね。

 逆に、美魔女たちは40を超えてもよく20歳から年をとらないらしいので、地球の速度は2倍遅く回っていらっしゃるのでしょう。へたしたら地球が一時停止しています。ザ・ワールド!!時よ止まれ!!!

 私はその時が幸せであり、豊かであれば良く、自分が納得いく時間を過ごす事が大切なのかと思います。だから、今を生きる事がもっとも重要な意味を持っていると思います。母の日だけに改めて感謝をする事が重要ではなく、日々感謝の日で過ごす事が大事です。一年も一日の積み重ね、大事に過ごしていきましょう。

 

開設

 皆さんお知らせがあります。徳志館に新しい道場が誕生します。

来年の4月より池田道場を開設しようと計画しています。県内3つ目となる道場です。さらに合気道を広めていきたいと思います。そして、2020年には徳志館だけで講習会や演武会を開催を計画したいと考えています。

 徳志館のレベルをあげて指導員を育て、やがてはもう一つ道場を開設したいと思います。これからは徳志館の時代です。合気道の時代です。そう思っています。

 来年はかなり動きます。さらなる計画も練っている最中です。そのお知らせは春ごろ出来たらいいかなっと思っています。

 大きな目標は学生の部活動の創部です。さあ一体どうしたら創部できるか考えものです。来年は合気道の鬼になるぞー!

無題

 最近めっきり寒くなってきましたね。こんな寒い日には鍋か合気道で体を温めましょう。

 私は小さい時に晩ご飯に鍋がでたら、テンションはだだ下がりになってました。ご飯のおかずに合わないので嫌でした。がっつりしたのが好みでした。だから、鍋の日はフィッシュカツを焼いていました。鍋はお汁なんですね。しかし今は鍋をよく食べるようになりましたね。私は特にキムチ鍋が好きです。

 食事は大事です。合気道するにはよく食べてるのが一番です。ポテトチップスやチョコなどのお菓子でお腹をみたしてはダメですよ!この時期のコタツにアイスは激ウマでしょうが、あれは悪魔の誘惑です。

 私は体は頑丈です。槍が5本突き刺さっても大丈夫です。本当は槍一本でも無理です。爪楊枝でも痛いですよね。風邪は年に2回ほど引きます。からい食べ物はトイレにて地獄をみます。胃腸が弱いのでしょうか。むかしストレスで胃炎で倒れました。

 現在は合気道のお陰で、激辛。ストレスは軽減効果で元気いっぱいです!疲れ知らずの化け物です。楽しい合気道のおかげで無尽蔵の力を手にいれました。ただお風呂に入るときは「あ~、あ~~」ってプチ絶叫して体をリセットしています。風呂から出た瞬間黄金に光ってます。

さあ、冗談はさておき、合気道で体を強くしていきましょう。

合気道に思う事

 皆さん、合気道していますかー?私はしています。さて、健康食品のコマーシャルのような切り口ではじまりました。今年もあと少しです。皆様風邪にはお気を付けてください。

 多感録もよく続いてきたと感じております。多感録では、私の意見や出来事を記載してきました。これからも面白いこと。たまに真面目な事。やっていきたいと思います。

 私の合気道人生も来年で19年となります。長いのか短いのかわかりません。ただおじいさんになっても合気道はなにがあっても継続したいところです。

 現在では合気道は世界中に広まっています。そして日本より海外の方が合気道に対しての見解が深いと思います。合気道は日本人にとって身近ではありません。武道自体がそんなに流行していないのが現実です。正確には廃りかけているといったところでしょうか。

 世界では日本の文化が注目されてます。食・文化・経済等日本の独特のものが海外に受け入れられ、合気道も瞬く間に日本の文化として愛されています。

 日本人はとても勤勉で繊細な技術をもっています。だからこそ素晴らしい文化が世界に受け入れました。そして武道は世界中に広まりました。合気道も同じくです。合気道はさらなる進化・発展を遂げる事でしょう。少しでも合気道の良さを、合気道ができる環境、社会における理解・関心を高める事が必須であり、地域での活性が必要だと思います。

 

生きる事

 人は生きるのに意味を求める。動物は生きる為に生きる。人は何故意味を求めて生きるのだろうか。考えれば考えるほど難しい。だが生きる上で意味を求めるがゆえに悩む。人間は悩みでできているのだろうか。人の心は深い。

 何のためにこの世があり、何のために生きるのか?その答えは人それぞれの心によるものだろう。どの哲学もどの宗教も人の心を救えるが、万人を救えるものではない。日本でも何万人かが毎年自殺をしている。その人を救える事はできないのだろうか?自殺する心を和らげられないのだろうか。ストレスや不安による緊張状態に侵された体は本来なら考えられない思考に辿り着く。裕福な人、満たされている人にはわからない日々の積み重ねは耐え難い苦悩が伴うため、そのもがきからの解放をされたいとの事なのだろう。推測でしかないのだが。

 生きる事は誰もが約束された権利である。生きるとは社会から生活への対価を得る事である。自由に生きるのは難しく、社会からの脱却をするのは難しい。

 生きる事は決して楽な事ではない。誰もが悩み、不安に襲われる事がある。例え、どんなに好景気であろうが、生きる事の難しさは変わらない。

 生きたい。素晴らしい。そんな日本に変えなくてはならない。その時代を築かなければいけない。そう感じている。これからは心の時代、精神の時代である。

 

ハッピー

 「ハッピー」我が息子の口癖であります。一番最初に覚えたのがスネーク、次がプッシュ。そして、ハッピー、アップルです。それ以外は、まだうっすらです。

 ハッピーになってほしい、それは親の思いであります。ハッピーはどう生きるか。どう楽しむかが問題でありますね。苦役に耐え、自分を見失い笑顔を無くしてはさみしい人生ではなかろうかと思います。

 合気道は私にとってはハッピーです。人と交わるのが最高です。人との交流は生きている証であります。人生はいかにお金を稼ぐとか地位を築くとかではなく、大事な人との過ごす時間は格別の喜びでしょう。

 幸せになりたい。それ以上に幸せを作りたい。そんな贅沢な人生を我が子に送ってほしいと思っています。

 親になることは簡単であるが、親であることは難しい。子を心配しすぎて型に当てはめる親にはなりたくないが、恐らくなるだろう。それもまたよし。

 ハッピーな人生。万人は送る権利を持っている。貧困のない時代を、戦争の無い時代を、差別のない時代を形成しなければならない。

久しぶりの更新

 久しぶりの更新となります。申し訳ありません。私的に忙しかったので更新できませんでした。それに、少しゆっくりしたかったので、時間を頂きました。これから、マメに更新したいと思います。

 さあ、冬がゆっくりと近づいてきてますね。朝夕の冷え込みが凄まじいですね。北海道とか東北の合気道をされている方は防寒対策はどのようにしているのかなって思います。四国で生活をしているのにもこの寒さは厳しい(もしかして体が弱い?)

 この間TVでロシアの美女が日本に合気道目的で滞在しているのを視聴しました。TVの単語検索予約みたいなので「合気道」で登録してけば勝手に録られていくんですよね。内容は、彼女は合気道の魅力に惹かれて、合気道の聖地である茨城県の岩間の道場で日々稽古をしているのです。夢は祖国で合気道の指導者になる事だそうです。ロシアは日本武道に対する造詣が深いように思えます。彼女に迷いがないのが凄いなと思いました。そして生ける伝説「磯山博」先生が出てきたときの彼女はミーハーのように喜んでいました。とにかくうれしそうで憧れの先生に学んだ事が宝物なのでしょう。 彼女にとって人生を捧げれるもの。この時代は精神の時代であり、豊かな心の時代を彼女の個性や実力で切り開く事が素晴らしいと感じました。

 合気道は日本武道です。伝統文化です。愛好する人により守られるべきものです。だから個々にどんな理由で始めても良いし、制約を受けて苦しみに耐えて我慢する必要はないのですね。彼女に憧れられる磯山先生が素晴らしく尊敬できますね。私にとってそれが正岡師範であったり、佐々木師範であったりします。私も身近に見習うべき師範がいるのだから、少しでも勉強しようと思います。

肚の人

 肚の出来た人これは難しいですね。腹の減った人は簡単ですよ。ご飯を食べれば良いのですから。何が起きても驚かない。これが武道の腹の人。何か起きれば踊る人。それは徳島県民。踊る阿呆と呼ばれています。

 佐々木師範は肚の出来た人が日本人だ!とおっしゃっていました。堂々と正しい事は正しい。やりたいことはやり通す。誠の人が侍だと。

 社会では経営者は嫌われ者です。どこに行ってもですね。大体。尊敬を通り超えて限界な方が会社を辞められます。しかし、社長は何故嫌われるのか?それは、経営の利益優先だからです。まさに正当。だが、それはあくまで経営ぎりぎりな方はわかりますが、権力を盾にケチる人、一生懸命に働いているのに、そこを評価しないで、経営の数字だけを見て評価する人。こういう人は人生の面白さを半分しか楽しめていませんね。自慢をしてくる社長は社長じゃなくただのおじさんです。

 私は合気道で沢山の人と語り合いました。理想や信念を語らいました。人生は人の出会いの宝庫ですね。人生は短い、だからこそ楽しまなければなりません。社長が肝の小さい男なら、暗い会社になってしまいます。人を活かすのが社長道。魅力あふれれる人にドラマあり。肚の出来た人こそ真の社長であらねばなりませんね。

勉強また勉強

 久しぶりの更新となります。忙しいのですいません!

 人生勉強が大事ですね。常々思います。自分を高めるには向上心ですね。何がしたいか、どうなりたいかで変わってくると思います。

 9月24日に合気道の講習会が愛媛の西条市でありました。沢山の人と交流する機会がありました。とても実のある講習会になったことと思います。所変われば技も変わるものです。

年に数回しか会わない人もいますし、初心者の方もいます。

 各道場の技もとても楽しかったです。やはり、講習会はよいですね。得るものが多いです。間違いなく参加した方がいいと思います。

 合気道は好きな人が好きなだけ参加し、自分の技量を増やすのです。経験は積んで損はありません。いくつになってもです。

 合気道は開祖の技をするのです。開祖に始まり、開祖に終わるのです。よくわかりませんが、そうなのです。倒す、勝つは人の悪しき心なのです。

 開祖は近くにいます。(え?そうなの?)開祖の稽古は今を照らすのでなければなりません。合気道は神の技なのです。

 開祖の合気道はよくわかりませんが、とにかく勉強ですね。開祖から学び、開祖の合気道をしたいとおもいます。勉強、勉強、BENKYO-。がんばります!

恥の精神

 人は恥を掻くために為に生きているといっても過言ではありません。恥とは決して恥ずかしい事ではありません。恥とは日本人が大事にしなければならない心構えであります。恥の文化は古来より教えられてきました。最小単位では家庭の教育からです。

 親から、「恥ずかしいから止めなさい。」と躾けられてきたと思います。しかし、この恥とは本来の恥の意味とは少し違います。この恥は、恥ずかしいという意味です。即ち恥を対外的に捉えられており、本来の恥とは違います。

 佐々木師範より恥とは掻くものだと教わりました。即ち、恥は己を磨く事なんです。恥はかくというより、恥を知るという事です。知らぬが恥ではなく、知っているが使わなければ、知らぬと同じ事、勇気一つ出せば解決する事がわからない事が恥であるという事です。

 恥は掻けばかくほど磨かれる。恥を恐れてはいけません、知らぬ事を聞かないことが自分の成長を滞らせるのです。人生はあっという間。少しでも向上心があるならば今の実力を知り、愚直に突き進むのです。

 沢山のチャンスが世の中にはあります。そのチャンスも自分で掴み取らなければなりません。その為には沢山の人に支えられなければ成り立ちません。チャンスは人の手を借りなければならないかもしれません。それは、自分と対立する方とも協力せねば達成できないかもしれません。本来の目的はチャンスをものにすることです。自分の運命を変える事を、小さいことで、プライドで達成が出来ない事は恥ではなく、無力だという事です。

 恥は知って、解って、心得て意味があります。恥を文化に持つ日本人は素晴らしい感性の持ち主であります。恥を一杯かき、自分を磨きましょう。

無題

 合気道は誰のものでもない。その事を分かっていないと勘違いしてしまう。権力があると勘違いしてしまう。なんの為の合気道であるのか。だからこそ、時代は古き体制を是正している。それは民意によってである。古き慣習により、発展や可能性に対して束縛しているからであろう。変化を求めず安定を維持する事で守りにはいっている。

 自由を束縛をすると、束縛から脱出したくなる。息苦しく感じるからである。誰しもが初心を忘れず、合気道の発展に寄与し、教育、文化に対して充実する事が本旨ではなかろうか。

 今こそ、本当の合気道、精神の渇望を求める時ではないかと思う。立ち上がるのは勇気があれば容易である。心は志士のように、時代を変える事を恐れずこの今を打開する。

 合気道は誰のものでもない、どこでやってもいいし、その権利は何人にも迫害を受けてはならない。そして狭き世界で物事をみてはいけない。自由は自由だという事を理解しているからこそ、権利を主張しなければならない。自由を自由に使えないのは不自由である。自由とは誰もが行使できてこそ本当の自由である。

先輩

 私は人に恵まれている。そう思っています。合氣道によって特にそう思えます。運命はいかようにも変えられる、そう願えばです。

 私無力です。だからこそ、沢山の方に助けられ、応援され、励まされたりするのです。私みたいに単純で、後先考えずに行動する派は壁にぶち当たります。器用に立ちまわるのは苦手であります。いわいる策士ではありません。だから溺れません。浮いてます。

 冗談はさておき、私の兄貴分で中島さんって方がおられます。私の良き理解者であり、頭の回転が早く、まず相談事は中島さんにしておりました。中島さんならまず、間違いない。なかなかお目にかかれないくらい器用な人。

 とにかく、合気道にも造詣が深い。そこには確かな精神が宿っているのでしょう。佐々木師範や正岡師範、田畑師範、門田師範、橋本国滝先生。先生たちとの交流も同じ時代で私達は合気道をやってきたので、考え方、捉え方が同じであります。今の大学生達には当時のあの環境のすごさを知らないのは可愛そうですね。とにかくすごくいい時代でした。その時代で中島さんはセンス抜群で先見の明がありました。私がべた褒めする唯一の方かもしれません。徳島でおられれば間違いなくすごいことなっていたでしょう。と私は思います。

 私の母が病気で亡くなって、お葬式もわざわざ島根より駆けつけてくれました。義理に厚く男気に溢れており、頼もしい先輩です。沢山のアドバイスや応援は励みになり、徳志館の事も常に気を使ってくれています。

 世の中、怖いだけの先輩や頼りにならない先輩もいます。私は18年間合気道を継続してきましたが、未だに合気道をされている先輩、後輩は一握りです。一握りの中に中島さんはいます。正岡師範の技や歴史になくてはならない人。正岡師範を大事にしてくれる貴重な人。正岡師範の技や精神を継承していく人であります。

 最後になりましたが、合気道の「あ」から面倒をみてくれた先輩。学生時代は常に遊んだ先輩。めちゃくちゃ遊び倒した記憶があります。未だに天災があれば一報くれたり、島根の実家に呼んで遊んだくれた先輩。歳はとっても仲のよい先輩。中島さんがおったから、私は合気道を続けれたんでしょうね。私は先輩に恵まれている。

 

饅頭怖い

 近頃、夕方から大分涼しくなってまいりましたね。過ごしやすいけどまだまだ油断はできません。こまめに水分を取ってください。

 雑談ではありますが、私はあんこが食べれません。つぶあん、こしあん。食べれません。ちなみにうぐいすあん。羊羹も食べれません。栗きんとんも苦手です。たまに「このこしあんなら食べれるよ」とか、「このあんこあんまり甘くないよ?」って教えてくれますが、そこじゃないんですよね。シンプルに食べれない。こしあんかつぶあんでそんなに変わる?って思ちゃいます。苦手なまま大人になり、苦手を克服せずそのままきました。

 たまに父がお土産であんこのお菓子を買ってきます。あれ?息子が嫌いなの知らないのかな?って思う時があります。30数年嫌いだよって、言ってきたはずなんですが、謎です。だから、親戚や知り合いがお土産でクッキーとかケーキ、チョコとか買ってきてくれます。私が和菓子系苦手なの知っているからです。それでも鮎まんを大量にもらった時期がありました。30数匹の鮎が・・・・・。どーすんの?って思っていましたが、人にあげるとか嫁ががんばって食べるとかで減りましたね。

 何故あんこが食べれないか?それも謎なんですが、のどに詰まらせて戻したのかな?むせかえり、気持ち悪くなって大泣きした記憶があります。たぶんそれかと。それがあって、自宅で母があんこをにつめていたら、においが充満してしまうので、ゲホゲホとむせながら半泣きで家から脱出していました。体が受け付けないようになりました。

 わたしは、今後も恐らく食べないでしょう。饅頭怖いという落語がありますが、私にとってはリアル怖い。日本の伝統和菓子。これからも日本人に愛されるお菓子でいてください。ありがとう和菓子。仮に生まれ変わっても日本人になりたいです。和菓子の食べれる日本人に。ただ、現世は気持ちだけで大丈夫。今日も沢山の人に和菓子は愛され召し上がられている。

 

タマランチ会長

 笑う門には福来る。まさしくその通りであろうかと思います。人生一つでもいいから持ちネタを持っとくと良いと思います。馬鹿話でも作り話でも、思い出話でも体験談でも。

 ネタはなかなかできないかもしれません。家でずっと居てたらね。沢山の人と出会って沢山の思い出を作れば話が出来る事と思います。

 私は苦労が沢山あった人生を送っていました。なかなか一言では語れないのですがね。苦労していた中でも、多少の話はあります。それはいつかお話します。

 自分の青春は合気道にささげておりました。20代は遊んだ記憶があんまりありません。合コン?なんだそれ、何味のコンニャクですか?といった感じです。

 TVショーでは、都会の若者の流行に敏感なのか、奇抜な出で立ち、フルカラーでオシャレなファッションで街に溶け込んでいる。あたかも当たり前の様に放送しているが、ここ三好町に来てごらんなさい。完全にうきまっくていますよ?おしゃれにデコレーションしたジュース。何味かもわからない。渋谷系?原宿系?知らね。ユニクロで上等。若しくはしまむらで。十分。

 それはさておき、三好町は自然が溢れる素敵な街。恐らく都会の猛威を振るわれることのないミステリーゾーン。だがしかし、こののどかな町に奴が現れた。ローソン。老村(正確には老町)にローソンが出来た。しかし、それによって著しく人口が増える訳でもない。しかし、うれしい。

 何の脈絡のない話になってしまいましたが、少しでもクスリとして頂けたなら光栄であります。この世はくだらない事で笑う事が大事ですね。駄洒落一つでも笑い転げてやってください。面白くて笑いが止まらん。たまらん。タマランチ会長。なんちって。最後の最後にふざけてしまった事をお詫び申し上げます。皆様、夏も半分ですね。がんばって乗り切ってください。落ち無し!

権力

 この世は金と権力に満ち溢れている。権力とは一体何なのであろうか。一部の人が持てる力。それにより苦しむ多くの人たち。権力、暴力は恐ろしい。政治も民意を無視をしてしまえば、独裁国家となってしまう。

 地位と権力は持てば不自由と佐々木将人先生は言った。ただがむしゃらに、世の為、人の為に尽力して、人の喜びを我が喜びとせよとおっしゃった。この言葉は私の心に突き刺さった。この言葉はとても力があり、「至誠通天」は武士道の真解である。幕末の志士も学無き虐げられた下級武士によってなされた。多くの志士が明治の世を迎えることなく散った。若き日本人が国を創ったのだ。

        人間50年下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり

 やりたいことをやろう、たのしいことを求めよう、愛している人と共に。

 私は佐々木先生と出会って人生の走り方を教わった。しかし、走り方を教わったが上手く走れているかどうか、出来ることならもう一度佐々木先生とお会いして語りたいと願う。楽しいあの時間を。時間を忘れて沢山の議論、夢を語りたいものである。

 権力とは対極であった佐々木師範。私は、佐々木師範の懐の深さにしびれている。この今も。人生でこの人以上に魅力的な人はいない。そう断言できる程素晴らしい人であった。私は佐々木先生には決してなれないと思っている。だからこそ諦めるのではなく、泥臭くても這いつくばってでも自分を持てる人になりたい。この時代にだからこそ、自分が人の役に立てる事を精一杯やりたい。それが、合気道にある。

 権力は人を狂わせる。至誠は人を磨き上げる。私がおじいさんになっている時、沢山の弟子が生まれている事だろう。そして沢山の人に影響を与えている事であろう。わが師が自分の運命を変えたように、私も他人の運命を変えるのだろうか。そう思うと毎日が重要で非日常である。

 

乾さんと私3

 乾さんと私編第3弾です。今回のお話は私が徳志館創設したての頃のお話です。かれこれ12,3年ほど前のお話をします。

 当時は三好道場しかなく土曜日と日曜日の夕方4時から稽古をしてました。当時はその時間帯が都合がよかったんですが、門下生は全然入門せず、暗黒の時代でした。

 その時、乾さんに高知からわざわざ来ていただき、サポートをして頂いていました。夕方に稽古が終わるので、たまに温泉で体を癒すこともしていました。

 とある稽古後に二人で温泉に行くことになりました。その時はたまたまお客さんが一湯船に一人だけしかいませんでした。私と乾さんはお互いに水を掛け合ったりじゃれながら体を洗っていました。その時湯船に浸かっていたお客さんが湯船から出てこちらの方を見ていました。その時は少しうるさかったので気にされたのかと思っていました。 

 体を洗った後に湯船に浸かって雑談をして温泉を楽しんでました。私はその後露天風呂に向かい乾さんはそのまま湯船を楽しんでいました。数分後、乾さんの所に戻ると乾さんのま隣にそのお客さんがいました。だだっ広い風呂に大人二人が寄り添うようにいました。乾さんは真っ直ぐを見ていましたが、お客さんは乾さんの横顔を見つめていました。 

 私は、その場を後ずさりもう一度露天風呂に行くことにしました。私は露天風呂に行く通路で気配を感じ、後ろを振り返るとあのお客さんがゆっくりと私に近づいてきました。私は、もちろん黄金の右をぶち込もうと思っていました。しかし、よく見るとお客さんの興奮状態のアレがMAXだったのでした。私は、一瞬真っ白になりましたが、その時、他のお客さんがたまたま露天風呂の方きたので、助かりました。私と乾さんはこそっとサウナに入るふりして脱衣所に逃げ込みました。(出入り口は2か所ある)

 最小限の着衣の状態で脱衣所をでました。ちらっと、浴室の方を見ると、先ほどのお客さんが浴室の出入り口で、外に逃がさんぞと言わんばかりに仁王立ちしていました。

 急いで車に乗り込みました。状況把握するために乾さんと話し合いました。乾さんいわく、私と乾さんがじゃれていた時に、そのお客さんは湯船から出てこちらを見ていた際に、股を全開に開いていたらしいのです。そして乾さんが一人になった瞬間無言でゆっくり近づき、吐息を感じられるくらいのとこまできて5分くらいそのままだったとのことでした。私が後ずさりして露天風呂に向かった時に、そのお客さんも後を追うように向かったそうでした。

 なにはともあれ、世の中には不思議で溢れております。皆様のお気をつけてくださいませ。ほら、そこのあなたの後ろ、あのお客さんの手が・・・・。

時間

 今回は時間について語りたいと思います。一個人の意見です。時間とはお金に変えられないものであり、お金で時間を買っています。特に飛行機とかはお金で買っていますね。東京に行くのに徳島からだと約2時間ほどで着きますね。歩いてだと3か月かかると思います。

 それはさておき、時間は短いと感じるのは自分だけでは無いはずと思っています。しかし、逆もあります。お偉いさんのお説教は誰かが時を止めているかと思うほどです。お説教ではないですね。有難いお話です。しかし、耐え難い時間は長く感じます。スロー再生しているのかと錯覚するほどです。

 それもさておき、時間の支配者は優越の時を過ごせるのです。うらやましい。例えば、トーストを焼いてる間に珈琲を作り、目玉焼きを片手間で焼き上げ、それらを頂きながら新聞を読むみたいな感じですかね、心地よいBGMを聴きながら。もう一つ例えを、風呂場でシャワーに打たれながら髭剃りと歯磨きを同時に体を洗いその水の勢いでおしっこも済ますのはどうでしょうか?更に、風呂掃除も兼ねながら・・・・・戦慄。

 それもさておき、人間手間暇をかけていいものを作るのも乙なものです。なんでも効率化はよろしくない。長い月日をかけて磨かれた合気道も同じです。好きなものこそ時間を経つのも忘れて童心に帰ってみても良いのかと思います。ドモホルンリンクルは1滴1滴・・・。

 夏休みもあっという間。全力で楽しんでほしいと思います。夏に悔いを残さないように。

人の縁

 この世は人と人の縁で繋がっている。この言葉は故・佐々木の将人先生のお言葉であります。

「人の世は縁の糸の絡み合い。たぐる幸せ、又、不幸せ。」

人の出会いは奇跡の連続であり、その奇跡に気づく人は少ない。自分も他人からしてみれば奇跡の人の一人であることもなかなか気づかない。子育ても同じであります。子供からすれば親とは奇跡の人であり、親からすれば子供も奇跡の人であります。

 SNSで簡単に繋がることが出来る昨今。人のつながりとは、そこに信念や情熱をもって自分の縁を繋げとめる事でしょう。

 人たらしであった坂本竜馬は幕臣の勝海舟から可愛がられていた。竜馬は土佐では身分の低い郷士であり、上士に頭が上がらない身分であった。竜馬を勝は自分の弟子にし、神戸海軍塾塾頭に任命したり、西郷隆盛との面会を取り付けたり、勝は竜馬を一人の有能な人物として重宝していた。坂本竜馬は魅力にあふれ、己の縁を活かして世の中を渡った。この世を洗濯するために。命を賭して

 この時代も人の繋がりは変わらない。いかに自分を活かすか。いかに信念を活かすか。私は佐々木先生との出会いにより運命は変わった。変わったからこそこの今に出来る事を真剣にやらねばならないのである。

 これからも沢山の人と出会い運命を切り開き、人生を喝破せしめるのが、佐々木説法である。

恐怖のお中元

 夏の暑さが一段と堪える今日この頃、皆様におかれまして益々の御清栄のことと存じます。お中元の季節でもあり、我が家にも、お中元?のような事が起きました。玄関付近に、飼い猫のシー君がスズメ1羽を咥えて、私にプレゼントしてくれました。せっかくなので私はそれを唐揚げにして食べるかーーーい!有難迷惑だ。シー君よ。しかし、君は賢い。

 それは、さておき夏は沢山イベントありますね。夏祭り。海。スイカ。お盆。などなど。

 息子がまだ小さいから宿題とか遊園地とかに連れてけ!がないので、助かっています。しかし時間の問題。そんな彼はこの間スイカを手で握り潰して床に投げたのを私の口に入れようとしてました。せっかくなのでって食べるかーーーい!息子よ。まだシー君の方が善意があったぞ。シー君は私の口に強制的には入れないからな。スズメを。

 しかし、なんだかんだで息子はかわいいものです。溺愛しています。しかし、大きくなったら厳しく躾けるつもりです。アメとムチが必要でしょう。

 息子には合気道を教えたいと考えているのですが、こればっかりはわかりませんね。やるかどうかは。正岡師範には元気なうちに親子3代で合気道をしたいと考えています。徳志館のどの子にもそれは同じでみんな正岡師範と交流できたらうれしいなと思います。

 最後に、皆様夏を無事に乗り越えましょう。人生楽しみましょう

多感録2

多感録2始まりますが、やはり1発目は合気道の事を書きたいと思います。

 徳志館創部した時は、玄武道場という名前でした。いわいる同好会でした。門下生も全然おらず、さみしいものです。しかし、当初2人しか門下生がおりませんでしたが、熱心な子で稽古も休まず合気道を学んでいました。私もやりがいを感じ楽しかったです。多い少ないの問題ではないのです。

 創部から5年程して、門下生も10人くらいに達したので、正式に道場として登録をしました。その時名づけたのが徳志館です。

    徳を以て脈を興し  和を以て尊しとなし  武を以て道を志す 

 この前後の徳と志の二字をとり、徳志館と名付けました。ちなみにこの文は私の自作です。改名をするにあたり考えました。徳島の徳ではありません。

 道場をやるというのはなかなかの事です。責任は勿論の事、時間の確保、稽古内容の充実など。HPもそうです。どうしたら、質の高い道場に出来るか、門下生が満足できる道場にできるか。他道場とのお付き合いもあります。色々な事を含め道場を興すのは勇気がいります。

 しかし、やると決めたなら、最高のものを目指し、喜びに溢れた愛される道場を作ろうと思いました。他道場にはない個性を出したいと思いました。それが今に繋がっているのです。

 合気道は楽しい、面白い。しかし、それは指導者によりけりだと思います。ぎすぎすした道場もあると思いますし、人の顔色を見ながらする所もあるでしょう。それが正常なのかもしれません。縦社会であるがゆえに一般人には敷居が高く感じる事でしょう。怒鳴り散らすところもあるでしょう。それも愛ゆえにでしょう。人それぞれです。

 高知時代は合気道をただ単に楽しむだけでした。師範がいましたから。稽古相手も沢山おりました。師範の偉大さゆえに居心地がよいのです。当時は結構人気がありましたよ!今と違って!

 面白き  こともなきこの世を  面白く

 高杉晋作の句です。私のモットーの一つです。さあ、楽しい合気道をともにつくろう!