これが多感録!

 多感録もこれで20回目。さらなる発信をしていきたいと思います。次回より多感録2で更新します。だいぶたまったので。3、4、5とだんだん増やしていきたいと思います。

では、本題。

 人の人生はいつまであるか?と問われても答えれようがない。タバコ、酒をこよなく愛してやまない人も案外長生きしておられます。我慢しないのが長生きの秘訣だとの事。別の話ですが、知り合いのおじいちゃんが「わしゃ長生きせんわ」といっている。すでに90超えていますけどね!

 人生のやりたい事、悔いが残らないよう今を楽しむ事。それは、我慢や苦労を耐えてこその権利なのかもしれません。今が苦しいあなた、それはその時の気のせいだと思いましょう。たとえ気休めかもしれませんが、決してその考えは逃げではありません。人はあなたを応援だけする人ばかりではありません。人の成功をうらやむ人、ねたむ人、さげすむ人。邪魔をする人は必ずいます。だからこそ、それを乗り越える力が人の成長を大きくし、乗り越えた事が自信になると思います。しかし、言うだけは簡単なんですよね。精神論は実践には対応不可能とまではいきませんが、不十分であります。人のアドバイスは気休め程度であります。自分の精神を司る工場がフル稼働してもキャパオーバーしていれば、自信喪失、やる気を失ってしまいます。そのとき誰かの助けが欲しいときに甘えられる人が必要でしょう。精神論よりも人が大事なんですね。そばにその人がいるだけでという感じですね。居るだけでも充分です。

 大事な人がいる。守るべき人がいる。わかってくれている人がいる。わかちあえる人がいる。その人たちがいるから、この苦境は、ただの気のせいなんだと思えるようにリラックスをしましょう。たとえ、仕事でヘマをしようが、ママ友に嫌われようが、自分は鈍くさいと思っていても、周りは意外と気にしていません。世界中に住む場所はあります。世界中に友達なんて簡単にできます。世界中どこでも暮らしていけます。世界中であなたを必要としています。最高のあなたを!世界は広く素晴らしい。決して車で10分ぐらいの地域があなたの世界ではあってはいけません。世界を狭くする必要はありません。せいぜい庭程度だと思いましょう。そう思うと人は自由なんだなって思います。日本人が年金の範囲内で海外に移住しています。

 私たちは一人ではありません。誰か一人でもいいから大切な人を大切にしましょう。その人にとってあなたが大事な人である為に。愛は地球を救うとはよく言ったもんですね。愛があるから日常に喜びが充満し、活力をもたらすのでしょう。愛される故にあなたの存在は尊いのですね。尊さは何ものにも変えられません。人生は素晴らしい人だけでは固められませんが、それこそが自分を強くしてくれる事だと思います。内気な人は少しでも自分を表に打ち出しましょう。どう思われようがいいじゃないですか!いじめを受けている人は打ち明けましょう。地獄を味わう必要はありません。明るい人は周りを照らしてあげてください。それは天があなたに与えた使命です。頭がいい人は人を喜ばしましょう。素晴らしい能力です。何もない人、そんな人は決していない。絶対明るく生きていきましょう。泣いて暮すも笑って暮すも同じこの世だから!ハッピーな毎日を!ハッピーな人と共に!何気ない毎日にこそ心の贅沢を!ありがとう。ありがとう。ありがとうーーー!ありがとうで包まれた毎日を。この世は歓びに満ちている!

 ここが私のアナザースカイ!あ、間違えた。これが私の多感録。

合気道の魅力

 人には感性があります。人は沢山の選択肢の中で唯一無二を見つけ出し、それを生きがいにする事は難しいと思います。一つは継続の難しさ。好きだけでは物事は続けられないのも事実です。いかに継続をするかは、その人次第ですから。

 決して合気道を続けろという訳ではありません。むしろやりきった、満足だ、やりたくない、無駄だと思えばしっかりと割り切って辞める事をお勧めします。それは、自分の為であるし、他者への配慮ではないかと思います。しかし、離れてみてわかるものもあるでしょう。やはり、自分にはこれしかないと思うかもしれません。

 さて、本題。私は合気道をやめようと思った事はありません。しかし、もし仮に合気道をしていなかったらどうだったかな?って考えることはあります。性格上団体の代表になるような人ではないと思っていますから。合気道を始めるまでは、性格は短気であり、他者に無関心であり、義にも熱くなく、自分良ければ良しの人。合気道を見つけたから、今の自分があるのでしょう。われながら我慢強くなったと思いますし、向上心や仁義を重んじれるようになったと思います。

 合気道の魅力とは人を変えれる事だと思います。私が変わったので。合気道に限らず、すべての何かにその力はあると思いますが、私には合気道でした。合気道は人と人を豊かにする為にある文化です。合気道で沢山の人と繋がり、会話をし、自分の見識を広げる事が出来ると思います。私は合気道の持つ力で教育や社会に貢献できると思います。

 だから、徳島にこだわる必要はないですし、徳島でこだわる事で可能性を潰しかねないと思います。それは、合気道は自由だという概念に反している事だと思います。合気道は自由であり、誰の許しを得るものではないのです。世界は広い。だから、合気道は身が一つあれば大丈夫。さあ、未来の指導者達よ。はばたけ!

放浪記5

 最近乾さんと連絡を取った時に、多感録の事を褒めてくださいました。面白いと。乾さんと私編ですが、真実を書いてると絶賛されていました。あまりにも謙虚な方なので全三作で終わりにしますと告げると二作で結構ですと遠慮されていましたが、遠慮は無用と第三部までの許可をえました。

 では、本題。久しぶりの放浪記編です。

 旅の醍醐味は人とのふれあいですね。私は放浪中に何にも求めていないのに、車に乗せてくれたことが2回ほどあります。

 一つ目は夫婦が乗せてくれました。どこまでいくんですか?と言われ30分ほど乗せてくれました。事情を説明すると頑張ってとのこと。

 二つ目は後ろから作業着を着たおっちゃん集団が声をかけてくれました。当時ヒッチハイク旅のテレビが流行っていたのかな?これテレビ?って聞かれましたが。ガチですと答えましたら、就職せよと説教を頂きました。そして、某カレー屋で奢ってもらい、寮に泊まらしてもらい、寮にて宴をひらいてくれました。そして、次の日に四日市にいくと伝えると連れて行ってくれるとのこと。しかし、着いたのは八日市。海沿いと内陸のどえらい違い。そこから、内陸の山脈との戦いが始まるのでした。

 偶然が一回、大都市名古屋。適当に道を歩いていたら、知った顔があったので、まさかと思い見ていたら向こうも気づき、急遽、2日ほど泊めてもらうことになりました。世の中せまい。

 次回、合気道の魅力をお伝えします。

乾さんと私2

 自称合気道界のファンタジスタ、合気道界のスーパーこと乾さんとのお話第2弾です。前回の話を見ていない人は下記にあります。ご覧ください。

 乾さんはお調子者でございますが、おっちょこちょいの面もあります。大学時に室戸完歩という高知市から室戸岬まで夜通し歩くという企画がありました。それは毎年12月にあり、合気道部で参加することになりまして、乾さんと私は100キロ歩くことになりました。私は乾さんのペースに合わせずにゆっくり歩くことにしました。乾さんは自信があるみたいで、余裕をかましていました。しかし、事実は小説より奇なり。乾さんから開始4時間くらいでリタイアの電話が掛かってきました。余りにも早すぎる失格。なんらかのトラブルかと心配していましたが、理由を聞いてびっくり。彼はビーチサンダルで参加しており、足の皮がズルむけとなり、そしてハーフパンツで参加の為体温を奪われたらしくリタイヤしたのでした。真冬に真夏の恰好。季節を先取りしたとんだオシャレ泥棒さん。

 毎年1月2日は正岡師範の誕生日で、門下生は一同に師範の実家や道場に集い、新年のあいさつとお祝いをかねてお邪魔させていただいておりました。私は半田素麺を手土産に乾さんは地元の饅頭屋の饅頭を用意していました。真冬に素麺と乾さんに失笑をされましたが、正岡師範は喜んでいました。そして乾さんがその饅頭を渡すと師範の顔が一瞬くもり一言。「饅頭は食べるんだが、この饅頭だけ嫌いなんや」と言いました。受け取りはされましたが、食べたかどうかは知りません。師範の嫌いなものをドンピシャでプレゼントするあたりに彼の天性の何かを感じざるおえません。かれこれ十何年経ちますが未だにこの話をするときがあります。

 最後のお話、昔、ボランティアでカーブミラーのお掃除を合気道部でしていました。ボランティアが無事終わり、ボランティア団体の方がうどんと野菜のかき揚をごちそうしてくれました。その時に誰が一番多く食べれるか競争することになりました。うどんキングの称号をかけて男の真剣勝負が繰り広げられました。うどんキングの称号は名誉であります。死闘の末、私が勝ったのですが、物言いがはいりました。それは野菜のかき揚の枚数もカウントするという悪あがき。未だに審議中です。15年経っていますが、お互いがうどんキングを名乗っている状態です。

次回は髙橋放浪記5をお送りいたします。

半端ない

 FIFAワールドカップの日本戦が大変盛り上がりをみせました。世界中に日本サッカーの底力をみせたことでしょう。日本中熱狂して応援していました。しかし、残念ながらベルギーに惜敗してしまいましたが、感動を与えてくれた日本代表。素晴らしいの一言。

 これからが、本題。合気道には世界と戦うような大会はありません。オリンピックにも種目はありません。TVでもあまり見かけません。学校の部活動でもみかけません。スポーツではないので賞状を貰う事はないので新聞にも載りません。

 そしてOOOはXXXだみたいなのもありません。例えば、「香川といえばうどん」みたいなとか、「夏と言えばTUBU」みたいなOOOはXXXという代名詞的がありません。また、キャッチフレーズもありません。「月にかわっておしよきよ!」とか「晴れの国岡山」とか。更には異名みたいなのもありません。例えば「奇跡の逆転ファイター」とか「森のバター」みたいな。

 ん~。そう考えると合気道は地味な武道だと言わざるえないですよね。そこで、少し考えてみました。少しふざけた例は、「全米が感動した武道。この夏はこれできまりだ!合・気・道」とか「小さな街で起こった感動爆笑コメディー。AIKIDO」とか、大げさなハリウッド風にしてみました。はい。しっくりこない。みんなの脳裏に合気道に対するイメージがわきにくいのが合気道の良さなのかもしれません。「謎のベールにつつまれた。古代の神秘。科学を凌駕した奇跡の武道それは合気道」なかなかキャッチーで攻めに攻めた言い回しだが、胡散臭さ半端ない。大迫半端ない。

 合気道の未来を考えて今日も夜が更ける。ありがとう合気道よ!楽しい時間を!

 

酒豪

人との縁は奇跡である。よって人生に出会いあり、我が母、我が父、友人、先生等、多大に影響をうけるのであります。

 自分には想像がつかない人が沢山います。エピソードを一つ。

 基本私はお酒が飲めません。世の中には酒豪と呼ばれる方がおられます。知り合いの人なんですが、大みそかの朝から日本酒を飲みながらソバを打っていたらしいんです。そして昼には私の自宅で父と酒を飲み、夕方には友達の人と酒を飲み、晩は消防団の詰所で打ち上げして(当時は私も消防団に所属していました。今はしていない)深夜3時まで飲んでいました。私は全然飲んでいません。

 私はその人と帰る事になったんですが、家に帰れるようサポートをするのです。しかしその人の足はふらふら。途中で嘔吐して、そこの付近で寝込んでしまいました。雪に埋もれながら「雪が気持ちいい。先帰っていいよ」って言いましたが、そのままにすると次の日には帰らぬ人になっているでしょう。どうにか起こして適所で戻しながら、その方のお宅に到着、上がって飲み物出すと言われたので、お邪魔させて頂き、コタツで一段落着いたと安堵した矢先、その人は「戻したから喉が渇いた」と缶ビールを飲んでいました。「うまい!」って。私は嘘やんって心の中で思いました。そして、あての煮干しを咥えながら、ウトウトとコタツで寝落ちしていました。体濡れてるけど、死ぬことはないだろうと思い、帰ることにしました。

 酒豪はすごいなと感心しましたが、私には無理だなと改めて思いました。

乾さんと私

 6月24日に三好道場と脇町道場で合同稽古をしました。沢山の方が来られ賑やかな稽古会になったことと思います。そこで皆さんは普段見たことのない方がいたと思います。彼は乾さんという方です。ここで軽くご紹介をさせていただきます。

 彼は私の1学年上で合気道部の先輩です。入部当時からの知り合いとなります。思い出としましては、四国中の大学が集まる稽古会で現地集合の際に一人だけ道着で来られており、恥ずかしかったのか木陰で着替えておりました。私は「おまわりさん、ここに服を脱いでる人がいますよ!」って叫んだ記憶があります。また、何かの打ち上げの解散の際に、みんなで外で話をしていたところ、蛇口から水を全開にだしているようなすごい音が聞こえてきたので振り向くと、側溝ですごい勢いで嘔吐している乾さんをみました。後にも先にもあれ以上勢いのある嘔吐は見たことありません。すっきりされた後のはにかんだ笑顔は一生忘れないでしょう。

 さて、合気道に関しては普通です。癖は「わかった!こうや!」ってすぐ言う方です。たとえ技が出来なくても常にニコニコされている方ですね。昔、徳志館の小学校3,4年生の女の子に全力で持たれて「技がかからん教えてくれ」って言っていました。その日は8割方技を止められていましたが、稽古後も何一つ落ち込むことなく、まるで何もなかったのようにニコニコされていました。とにかく、心が折れない。それはピュアハートなのだからでしょう。お釈迦様に麻酔を打ったような方であります。人が良いのです。最初に下を向いて技をかけたらいけないですよって声をかけましたが、すぐに下を向くので再三注意した後でも、めげない。何故なら「心は下を向いてない」というのです。私は「それは大前提ですよ」と返すと、彼は「まだまだ伸びしろだらけやから、これから」といいます。こうゆう人には敵いません。

 最後に不思議な習慣を紹介。私と乾さんは、8年くらい毎年必ずクリスマスに電話で挨拶もせずにどちらかが「WE wish you a?]といいます。「merry christmast!」と答えます。そして、合唱。何故かそれを連呼しては爆笑していました。毎年。近年はしていません。今年あたり復活しましょうかね。そんなユーモア溢れる彼がいたから、徳志館の初期時は大助かりでした。

 これからも、合気道を続けていってもらい、今度は自分が、彼に対してサポートしてあげたらなと考えています。次回はいつ来るかわかりませんが、いたらラッキーだと思ってください。 

無題

 本日はあえて、タイトルをつけず語りたいと思います。なので無題。

 言うがやすし、行い難しという言葉がありますが誠にその通りであります。なかなか上手くいかない事も沢山あるのが人生であり、必要なら運命に導かれるのが人生ですね。チャンスは活かさなければチャンスではなく、ボーっとしてたらチャンスにすら気づかない。人生は不思議なもので人の縁はたぐる幸せ、また不幸せときています。だから、人を大事にするとか見極めるとかは、結構な大仕事だと思います。自分で精一杯ですからね。

 人付き合いの極意とは何ですか?と問われると、さっぱりわかりません。人間力とは?さっぱりわかりません。人の尺度は人それぞれですし、主観も客観も思想も哲学も自由でなければなりません。そのうえで、人類の基本、観念を唱える事は不可能ですし、人生に強制はあってはならないのです。よって、自分の事は自分で判断するしかできず、周りになんて言われようが気にせず、自分が納得するしか他ありません。だって自分の人生ですから、目で見て耳で聞いて触って感じてしか情報は得れません。人の経験は貰えないんですよね。

 だから、大変苦労されている人のその苦労は唯一無二の宝でしょうし、又は順風満帆な人生を送っている人は、その秘訣をその人の感性により掴んでいるのでしょう。

 私は心がけている事があります。それは、自分を好きでいること、自分を信じてやること、自分の直感を大事にしてやること、損をしてもいいから納得を求める事。自分には自分だけの経験がありますから、そうしてやる事で個を生み出すんじゃないかと思っています。髙橋流という生き方を。

 結論、自分の事は、自分で決めよう。だって自分の人生自分が主役だから

中心帰一

 今回のお話は、自分の根幹である中心帰一を語ろうかと思います。人の心は掴めない雲のごとし、あっちにいったりこっちにいったり。統一する事が出来ないのが心であります。

 心の中心を持つことで自分を信念の人に作り上げるか、その信念に熱き魂で燃え上がらせる事が出来るか。武道は才能とか若さでするものではなく、人の情熱や使命感で作り上げていくものです。

 私は徳志館で14年、修業時代で5年半してきました。精一杯駆け抜けてきたつもりであります。その中で大事にしてきたものがあります。それは譲ることが出来ないもの、自分の大黒柱である中心帰一です。

 一体何がいいたいかと申しますと、師範が何十年も苦労して磨きに磨いた宝物である武道。そして自分に目を掛け、自分の息子のように喜びと愛で満ち溢れ、師と弟子の関係を形成していきました。私も師範の期待や希望に全力で答えるが如く自分を磨きました。師範に親孝行をする事を人生の喜びにしておりました。師との縁は切れるものではないし、師範を徳島から支える事、いつでも有事の際には馳せ参じる所存です。いつまでもいつまでもお元気で、師範は私の憧れであり私の父であります。

 だからこそ、合気道は大事な人に教えたいんですよね。合気道はどこでもあり、どこでも門下生の受け入れはするでしょう。しかし、各道場によっては方針が違うでしょうし、徳志館にとっての優先順位も誰でもってわけじゃありません。義理人情、礼節を重んじ、その人が必死にならなければ意味をなさないと思います。自分にとって合気道は金儲けではありません。この人なら師範の合気道を共にしていけると。合気道は自分にとってサークルやスポーツクラブではないんですよね。思いが強くないと館長務まらないって自分で心に制約しています。自分に嘘はつけません。

 私の徳志館は決して段発行所ではありません。その人の根幹に徳志館の根がなければ意味がありません。何故なら、徳志館の技に惚れ込んで稽古をなさっている方、館長の合気道に愛をささげて稽古をなされている方とただ単に稽古に参加している人の温度差には大差があります。ましてや尊敬も教わる姿勢もない人に、有段者手帳に自分の尊敬する師範の名前をのせなければならないのです。これは意味がないことだと思います。徳志館で稽古をする意味は一体なんでしょうか?私は徳志館に執着してはいけないと思っています。自分の理想や信念を貫けなければ中身がないスポーツに成り下がってしまいます。だから徳志館は信念や理念が達成できなければいつでも潰す気持ちをもっています。それはど真剣に合気道と向き合わなければならないのです。

私の徳志館に言える事は、自分の合気道を誇りに思ってください。師範より受け継いだ大事な合気道を守っていますと。その道場でよかったって、道場のみんなと心を一つにできるものに巡り合えてよかったと。

 師範から頂いた自分の唯一無二の合気道。これが私の中心帰一。揺らいではならぬもの。その想いは永遠であります。

放浪記4

今回も引き続き放浪記を書きたいと思います。まだ確認されていない方は一読しておいてください。

 本日のお話は、旅をしての色々なやりくりをお話したいと思います。では、水については基本、ペットボトルに各所で水をくんで、それを飲みます。2ℓのペットボトル。担ぐとかなり重くなります。まあ、簡単ですよね。公共的な所でくめばよいですから。食中毒怖いけど

 次に、洗濯、これはコインランドが便利です。夏出かけたんで乾燥まではしませんでした。生乾きをきていました。あとは適当な場所に広げて干していました。洗濯中は最軽量の服装をしていました。タンクトップにハーフパンツ(ノーパンです)それ以外は洗濯です。時折、入浴施設。

 次に食事、大きな意味で言えば外食っていえば外食にあたりますが、基本スーパーのパン、惣菜くらいですかね、1日1食っていう日もありましたね。田舎なら8時に閉まるとこもありましたから。

 次に雨、これは、リュックと寝袋だけビニールで保護して、体は雨に打たれながら歩いていました。途中本屋、スーパー、公園の東屋とかで休憩をはさみながらです。雨は仕方ないと思っています。それよりリュックと寝袋が濡れると大変です。たまにチョイ濡れの時ありますが、甘んじて寝ます。むっちゃ体温奪われます。

 次に、携帯電話。基本時計を見るとき、必要最小限の電話くらいで、電源を落としていました。ドコモショップなり、図書館とか公民館等でお願いしたりしてました。

 靴。これは上等な多機能のいい靴で無い方が良いです。何故ならすぐ捨てにくいからです。臭くなったり、ボロボロになったりしますから。安い靴で結構です。

 最後は、地図。適当です。本能です。直観です。雰囲気です。何度引き返した事か!ルートを適当にしか見てませんでしたね。そこに意味を求めていませんでしたから。それが良しです!

 次回は合気道のお話をします。放浪記編はまた後日に

 

放浪記3

 今回も放浪記を書きたいと思います。初めての人は前々回から一読してくださいね。今回の話は、こんなことあったよっていう話です。

 旅をしていると毎日は同じ日の繰り返しではなく、日々違うんだなって思います。色々な風景、言葉、環境があります。だから、毎日いろんなことが起きるんでしょうね。

 旅ではこんな事が起こりました。関西のとある入浴施設に入りましたところ、その時には5人くらいのお客さんが先にいたのですが、シャンプーをしている最中に気が付いた時にはお客さんが帰っていました。不思議だなって思って湯船に浸かりに行こうとすると、背中に鯉や観音様、鳥等が描かれている方々の団体様がご入浴されておりました。私は外の露天風呂の方にこそっと向かうとそこにも背中に何かしら描かれているお客様がおられました。そして、「兄ちゃんええ体しとんな~」っと声を掛けられ、幸運にもお話をさせて頂く事になりました。その方に少しばかり事情を話したら、家に泊まりに来いと誘われました。断りきれなかった為(断り方を知らない)、さりげなくこそこそと身支度をして、入浴施設より出る事にしました。せっかく風呂に入ったんですが外は大雨、ずぶ濡れになりながら、今夜の寝床をさまよい歩いた思い出です。

 次回も放浪記4をお送りします。

髙橋放浪記2

 今回は前回の話を踏まえますので、初めての方は前号を一読してください。

人生一度は放浪してみてはと思います。自分の布団の温かさを、風呂の素晴らしさを身を持って体験する事でしょう

 では、今回は自分が放浪して就寝することについてお話したいと思います。家が無くとも寝ることは可能ですからね。私が一番利用したのは神社かお寺でした。基本人が住んでいない無人のです。そこの屋根のしたで寝てました。中には入っていません。慣れるとなかなか快適ですよ。都会のど真ん中でも大丈夫ですね。

 次は仕方なしで公園の東屋的なのです。よっぽど早く起きないと、早朝ウォーキングの方に白い目で見られます。それと同順位なのが、道の駅です。やたら、車がきますから、氣がちり寝れません。

 最悪だったのは、完全に外です。宇宙から丸見えは逆に心身疲労します。ただただ寝袋をひいてお終いです。3日くらい寝ましたがよろしくない。それと、寝心地はまあまあだったんですが、土管の中です。ドラえもんの空き地にあるあれです。実際寝ると体にフィットしますが、次の朝、小学生に指を差されてしまいますので要注意を、しかも出るとき、ちょっと恥ずかしいですよ。気を付けてください。公園の遊具の中も有りっていえばありですが、リスクを伴います。指差されリスクが。子供が滑ってくるリスクもありますよ。

 旅では一日も宿は取らなかったですね。寝袋で十分でした。40日間。約7割が神社、寺。後は公園、空き地。レアケースで海沿い。海沿いの蚊は何百匹っていうくらいいました。急いでラケットの電流が流れるの買って、寝袋から顔だけだして顔の前にラケットを構えて少し降るだけで、バチバチってなりました。効果抜群ですが、一切寝れないのが残念ポイント、結局翌朝蚊にさされまぶたぎりぎり開くかどうかくらいふくれ上がりました。すごく熱も帯びてました。冷やしながら歩いた記憶あります。

 なので、神社、寺はお勧めです。ホテルをとった感覚におそわれる程の安定感。慈悲深さに甘えさせて頂くという気持ちで有難く一宿を頂きましょう。

 次回は放浪記3をお送りします

 

髙橋放浪記

 人生一度は放浪してみたいとは思いませんか?ただただ歩き自分をみつめ、自然と対話をし、日常にとらわれない生活。それは若いうちにすることで、社会通念上現実は厳しいです。

 私は20代で愛知まで放浪した事があります。約1ヶ月半くらいですかね。夏の間リュックと寝袋を担いで家から旅に出ました。理由としましては、自分の人生を楽しみたいだけですね。深い理由なんてはありません。思い立ったら吉日です。リュックを測ったら10キロ近くあったと記憶しています。

 では、思い出話を一つ。最初の3日で香川の端に出て本州に渡るところまで来ました。そこまでは野宿です。主に寺の境内で寝袋で寝てました。しかし、よく考えると、あれ?本州までどうやって渡るんだっけ?ってなりました。電車、車でなんでしょうが、歩きですから、現地着くまでなんも考えていませんでした。とりあえず行こうと。香川にも行ったのにも関わらず、結局鳴門に行き、高速バスでいきました。大回りをして四国を脱出しました。

 結局5日間で四国を抜け出しました。スマホなら簡単に調べれるんですけどね。無計画は旅の醍醐味。次回は放浪記2をお送りします。

徳志館少年部編

 今回は徳志館の少年部についてお話したいと思います。

 徳志館の少年部は一般と稽古を混同でしています。それは何故か、合気道は老若男女楽しめる武道だからです。だから、一緒に稽古しても問題ないと考えていますし、とても両者プラスになることが沢山あります。

 例えば、親子で一緒に出来る事とは子育ての一助としてのメッリトの面もありますし、大人の人と稽古をすることで、会話もするでしょう。そこの中に大人とのコミュニケーションが生まれると思います。平たく言えばしっかりするのです。

 合気道は子供達にとって単なる習い事ではなく、心に残る思い出であり、週2のワクワクを味わえる所にしたいと思っています。だから、面白い話や為になる話をして成長をしてほしいのです。

 そしてやがて時は経ち、良い指導者になって徳島の合気道の発展に貢献してもらいたいと切に願っております。少しでも合気道の魅力を知って力強い人生を歩んでほしいと思います。

 次回は髙橋放浪記をお送りします

母は強し

 今回は母について持論を交えながらお話したいと思います

 人類はみな母から生まれてきました。なんの例外もなく。偉大なる母より誕生したのです。父でありながら乳もあげられません。吸い付かれても一切何も出ません。嘘と思う人はぜひ試してみてはいかがでしょうか。結果くだらないと母に父しぼられるぐらいでしょう。

 さて、冗談はさておき、私は母により、いろいろな価値観を与えられ育ちました。あほな事はするな。人の陰口は叩くな。恥を知れ等、割と厳しめな方だったんじゃないかなと思います。我が母は羞恥心に対して異常な神経を使っていた気がします。だから、小さいとき、母がこそっと体重計に乗って測っていたのを見ようとしたら首を絞められたり、僕を使ってチョコレートを買いに行かされたり、母が音痴だからカラオケには全然行かない家庭でありました。

 しかし、母のぬくもりとはなんたる心地よさでしょうか。とにかく安心するんでしょうね。愛情で守られている、包まれている。だから、保育園でお昼寝タイム時に「さっちゃん」の歌が流れる時だけは、布団に包まって泣いていました。さみしくて。会いたくて。震えていました。(*^_^*)だから、未だにその歌を聴くとせつなくなります。

 私の合気道を一番応援してくれたのも母でした。私の合気道の腕前は知らんのでしょうけれども、私が合気道を続けてこれたのも母のお陰であります。

 しかし、そんな母が平成23年の2月に半田病院にて、癌の末期宣告を受けました。人生で初めて立ったまま気を失いかけました。あんなにショックって受けるんですね。その晩は一日中怖くて泣いていました。母を失いたくないと、少しでも愛されたいと。小さかった自分を育ててくれた母。私は「かあさん、死なんでくれー。頼むわ。ただただ一緒におりたいんじゃわ」ともがき苦しんで何週間も引きづりました。しかしその年の7月13日にとうとう天国へと旅立ちました。56歳の若さでした。

 抱っこされるだけで喜び、指をくわえながらニコニコしてた幼少期。野球の際には母の手作り弁当を持って行ったり、いろんな悪さをして怒られた少年時代。忙しいのにいつも支えてくれた学生時代。自営業で商売を一緒に頑張ったあの苦しかった時代。しかし私はあなたがいたからここまで頑張れたんですよ。あなたの息子に生まれて本当に幸せでしたよ。ほんとなら、まだ62歳。全然元気であろう年齢。一緒に旅行行きたかったなとかこれを食わしてやりたいとか。遼舷を抱かしてやりたいとか。数えあげればきりがないです。

 だから、私の合気道の根幹の強さは親孝行なんですね。どんな猛者より、この体を与えてくれた両親に感謝をしなければならないのです。別に聖人君子になれとはいってません。心は正直です。親孝行は力がみなぎり、生きる活力となり、真っ直ぐな子供に成長してくれることでしょう。どんな国で生まれようが母から生まれた体は感謝の塊です。たとえ戦争も、「ママ、アイ ラブ ユー」と言うだけで終わるんじゃないでしょうかね?戦争で人が死ねば自分の母や相手の母も死ぬ可能性もあるでしょう。母が死ぬと悲しみは計り知れない。容易にわかることですよね。

 最後になりましたが、どんな武器も母にはかないません。人類がどんなに研鑽を重ねようが、母を超える事はありえないでしょう。母親が生存しておられる方は是非親孝行をしてあげてください。

次回は、徳志館の少年ついてお話します。

正岡師範がすごい人って気づくのに2年かかったよ 6.10

 前回の続きみたいな話です。前回を読まれていない方は「合気道はじめました」を一読してからお読みください。

 合気道を本格的に始めたのが佐々木師範がきっかけです。しかし、そのエンジンがかかったのが2年過ぎたあたりです。合気道に本気で打ち込んでいなかったんですね。段にも興味なかったし。そして、大学の稽古もそれまでは行ったり、行かなかったり、そして、行かなかったり(2回目)、遊んだりしていました。その時に大学の稽古にたまにおじいちゃんが来るな~って思っていたのが正岡師範でした。あんまり、手ほどきも受けていなかったので、自分は師範に対して無関心でした。

 しかし、心を入れ替えて、必死で稽古に打ち込みました。思い込んだら真っ直ぐなピュアボーイは週7合気道を稽古していましたね(やりすぎ)。日曜日に至っては朝九時か晩の九時まで合気道をしていました。月水金が部活動。火木が医大で稽古。土日が合気武道研究会で稽古。休む間が無し。体には生傷が絶えませんでした(袖が常に赤く血で染まってました)。合気道三昧でした。今は週4で年間20日中学校で合気道の授業をしています。

 さあ、本題。ここで合気道の基礎から鍛えていただいたのが、恩師正岡師範です。正岡師範は心の広いお方ですね。こんな僕を重宝してくれたなんて。とにかく正岡師範の下で弟子としてスタートしたわけです。しかし、2年遊んでた奴を簡単に弟子にするあたりが大物ですよね。しかし、それも勝山さんあっての事でした。勝山さんは正岡師範に大層気に入られておりました。そして勝山さんにこう言ったそうです。「髙橋はダメだ。我が強い。」そしたら勝山さんは「髙橋君はそんな人じゃありません。」と即答してくれたそうです。ありがたや~。ありがたや。そんなこんなで楽しい修業時代を駆け抜けてきました。修業時代はいつかお話します。

 合気道を教えてくれた正岡師範、いろいろな経験を積ませていただきました。誠にありがとうございました。

 次回は母は強しをお送りします。

 

合気道はじめました  H30.6.9

 合気道との出会いは大学の時に、たまたま見て入部する事になりました。全く合気道をゼロから始めたことになります。最初は全然真面目にやっていませんでした。ふざけたり、ほかの遊びに夢中だったり、人生を謳歌していたんでしょうね。

 その合気道は大きく我が人生を変えることになりました。私は二人の人物に出逢い変わったのです。その人物は正岡師範佐々木師範であります。

 その当時は合気道はなんじゃらほいって感じでした。普通の若者(馬鹿者)であった訳ですね。しかし、初めて佐々木師範を拝見した時は、四国中の合気道関係者がきて、佐々木師範に挨拶をこぞってしておりました。一般社会の中に武道の伝説の達人がいたみたいな扱いを受けていました。とにかくなんだかとてつもないお偉いさんだなーってのが第一印象でした。そんなお偉いさんの特別な講習会に参加することに至り、とてつもない衝撃が走ったのを覚えています。

 合気道の稽古の際にに、人生のなんたるかを語りだしたのです。衝撃でした。え?技やらないの?技の説明は?って最初は思っていました。しかし、話がまたこれが面白いんですよ。なるほど!為になるなーとか今を生きるのが楽しくなっちゃたんですよね。運命は自分で切り開くみたいな事もいうわけですよ。若者(馬鹿者)すぐ感化されちゃう。熱くなっちゃう訳です。この人に気にいられたいって思っちゃう人なんですよ。ものすごく魅力的な先生でした。全国にも熱狂的なファンもかなり多いですしね。佐々木先生の教えは今度詳しく書くとしますが。この人とふれあえた事がきっかけで本格的に「合気道をはじめました」。に至るわけです。20歳の時ですかね。

 次回は「正岡師範が凄い人って気づくのが合気道始めて2年後ぐらいたったよ」をお送りします。

少年部について 高知編  H30.6.8

 今回は少年部についてお話したいと思います。今から16年前に高知にて正岡の下で正岡師範が代表でやられていた「合気武道研究会」にて少年部のお手伝いをさせていただいたのがきっかけです。当時は大学にて合気道をしていました。話がそれますが、当時は四国の全大学に合気道部があったと思います。今は廃部している所もあります。

 その少年部の合気道指導に声をかけてくれたのが、一学年先輩の勝山さんです。彼は努力の人でとにかく真面目で優しく、かつ情熱的で男気あふれる最高の盟友です。彼がいなかったら自分は合気道を絶対続けられていなかったでしょうね!<(_ _)>間違いなく恩人です。16年前の事ですが、未だに当時の事は鮮明に記憶し、今となっては自分の自信、活力、情熱になる思い出です。

 だからこそ、当時の少年部はいい思い出しかありません。毎月5~8人入門して大変で少年部だけで総勢100人はいたと思いますね。とにかく必死で正岡師範の少年部の指導方法を学び、子供達のサポートをするのが楽しかった毎日。そしてそれは自分の使命として合気道を徳島に持ち帰りたいとの願望がでてきました。

 そして、現在にいたります。後先考えずに拓いた徳志館。苦労と挫折がありましたが、結果大変良かったと思います。今年で合気道歴18年目になります。まだまだこれから~~~!!!!

 次回は「合気道はじめました!!」編をお送りします。

子育て  H30.6.7

今回は子育てについて、書きたいと思います。H29.2.22に息子が産まれました。年をとってからの初めての子なので、とてもかわいいし、大事です。だから、子供の事を中心として考えるようになりました。

 この子に何が残せるかとか、やりたいこと、教育、いろいろな選択肢の幅をもたせてあげたいと常々考えております。極論、この子の為に、自分の全てを投げうる覚悟があります。世界でたった一人の特別な人ですから。親とはそんなものでしょう。子供が一番なんですね。だから、世間で、幼き命が奪われることに何とも言い難い胸の苦しさがこみ上げてきます。親の気持ちを考えるといたたまれないですね。

 人生は一度きり、この現実ただ今が尊き毎日の連続にして、同じ日は一度もないわけであります。日々の変化に目を凝らし成長をしっかりと目に焼き付きたいと思います。いつか合気道もやれたらと考えています。

次回は、少年部について語りたいと思います。

 

徳志館の未来構想 H30.6.4

 今回は、徳志館の将来的に実現したいと考えていることを書きたいと思います。

 現在は三好道場と脇町道場の2道場です。これを3年後あたりにもう一つ増やそうかと考えています。何故なら、将来的に徳志館だけでの演武会講習会を開催したいからです。

 3つの道場があり、身内だけで大会を運営できたら最高ですね。夢であります。その夢を実現するためには、徳志館のレベルをアップさせること、合気道を周知させることです。

 具体的な候補地は、琴平、川之江、徳島県内と考えています。仮に3つの道場にならったら、徳志館の役職いわば指導者制度的なものの整備が必要になると思います。それも3年かけて形成していけたらと考えています。とにかく候補地を吟味し徳志館の更なるステップを実現したいですね。

 ちなみに、何故3年後かといいますと、子育てとほかにやらなけばならない事があるからです。次回は子育てについて書きたいと思います。

多感録 H30.5.31

武道多感録とは、平たく言えばブログのようで、独り言のようなものだと思ってください。特に題材をしっかりして堅苦しい感じではやらないつもりではあります。

第1回   合気道につい

 第1回はやはり合気道についてお話したいと思います。結論から申し上げますと私は合気道が大変大好きであります。合気道の楽しさは何年たっても変わらずイイなーって思います

 この時は年を忘れます。たぶんおじいちゃんになっても自分がこの時ばかりはおじいちゃんであっておじいちゃんではないと思っているはずです。私の人生合気道をするのが習慣付いてるのでそんな急な劣化は無いと思います。仮に急激に劣化してしまったら・・・まさかね。\(-o-)/

 自分の人生を変えた合気道。苦しい時も、耐え難い時もありましたが、それも又良し!合気道の可能性は未知数であり、やりたい構想もあります。次回は構想について書きたいと思います。