改めて

改めて自己紹介をします。

合気道徳志館 館長 髙橋 博志と申します。

血液型 AB型 徳島県三好町出身 1981年4月22日生まれ  170.6㎝ 71キロ 

合気道5段 杖道2段  合気道は19歳から現在まで続いています。

得意な技、回転投げ、二教、入り身投げ

好きなマンガ  ジョジョの奇妙な冒険 今日から俺は サラリーマン金太郎

趣味     地理を調べる事 合氣道 料理 本を読む事

不安に思っている事  徳島の人口が減っている事  道場を建てる覚悟が揺らぐこと

将来の目標 道場を建てる  徳志館の道場を5つにする  徳志館の合気道グループを3団体作る

徳志館の子供たちに一言

合気道を長く続け、徳志舘の合気道を広げていって欲しいと思います。四国中に徳志館の合気道を広めてくれたら館長冥利に尽きます。

これからの合気道

これからの5年が大きな意味を成します。この5年をしっかりがんばり合気道の発展に尽力します。

合気道の行事

合気道をするにあたり、行事は大事なイベントです。日々の稽古にメリハリが付きます。合気道のイベントは作ろうと思えばいくらでも作れます。しかし、程良さでなければ大変です。

合気道は、各地でイベントがあります。身内同志の会であったり、地域県内であったりもします。もちろん当会自体が主宰するイベントもあります。それらを全部参加しようとすると毎月何かしら参加する事になります。そして本部の大きなイベントもあります。

合気道を専門として生きる事は、そのイベントとも上手くこなす必要があります。多忙を究めます。そして、役職がつけば大変この上なしです。

合気道の専門家、いわいるプロの方の大変さは、激動の忙しさでしょう。自分の会を発展させるのは門下生の為でもありますし、自分の為でもあります。体が資本ですが、心の余裕も大事なことです。

それらを上手くコントロールすることが大事ですし、自分に自信がなけばなりません。プロとしての根性、意地でしょうか。まだまだ、自分には足りません。

だからこそ、先輩を見習い、目標として頑張らねばなりません。東北最大を誇る合氣道神武錬成塾の白川勝敏先生がその良いお手本だと思っています。全然、白川先生の多忙さを解っていませんが、尋常ではないスケジュールだと思います。全日本連盟理事、県連の会長、教室運営、イベントの数々をこなす体力は想像を絶するほどのエネルギーが必要でしょう。

私も、まずは地道にイベントを増やしたり、色々な所に学びに行ったり、人脈も実力も付けなければ、本物のプロにはなれません。まだまだ、半人前の私ですが、いつの日か、白川先生の足元ぐらいには追いつきたいです。その時には、徳島最大ではなく、四国最大の道場になれればと思っています。

本物のプロになるのに時間はかかりますが、強い気持ちを持っていなければなりません。そして、また白川先生の所に新たに学びに行きたいと思っています。前回よりも強い気持ちで学びたいと思います。

合気道その2

合気道は道統に繋がる。合気道を稽古する者の義務であり、使命であることは前回に書きました。合気道を知る事が修業の一環であります。決して、大げさではなく合気道の持つ力はこの信奉であると思います。開祖を想い、吉祥丸道主を想い、守央道主を想う。合気道界を背負われている方への尊敬と感謝の心を忘れてはなりません。

時代が変わろうが、合気道は合気道。令和になりその感謝の気持ちが変わってはいけません。令和の時代において、当たり前の様に合気道が稽古できる環境に感謝する気持ちが必要です。開祖の偉業、合気道の歴史、吉祥丸道主の功績、合気道を支えた先生方の歴史を少しでも語らなければなりません。

合気道には試合がありません。だからこそ、大きな意味があります。武道としての品格と慈愛の心を育てることが美しい合気道だと思います。

合気道は美しい。技も心も磨かれてこそ、本当の稽古者の道程でしょう。合気道は日本の誇れる武道であり、文化です。生きる素晴らしさ、尊さ、喜びを展開しなければなりません。令和時代の若い指導者はその表現者として、合気道を指導できる喜びに満ちて欲しいと思います。

私自身も磨いて、若い指導者に恥じぬ合気道家にならなければなりません。より一層合気道を知り、先生方のご教授を受けたいと心より思っています。

 

合気道その1

合気道をこれだ。合気道はこうである。と言えないのが合気道です。佐々木の将人先生も合気道についてはこうだとか、こうであるとかは語れないとおっしゃっていました。そして、合氣道神武錬成塾の塾長白川勝敏師範にも、合気道とはなんですか?と問うたことがありますが、答えは同じで、合気道に対して何であるかは答える事ができないとおっしゃっていました。

ここで勘違いしがちですが、決して合気道の事を知らないのではなくて、熟知しているからこそ、合気道に対しての感謝や誠意が生まれてその結論に至るのでしょう。まさに知ることが合気道への理解の一歩です。合気道を知る事とは一体なんでしょう。

歴史を知る事が合気道を知ることでしょう。合気道の歴史は順風満帆とはいかない時代があったそうです。若い人には到底想像できない苦難の時代があったのを知るべきでしょう。

戦後の合気会が存続の危機に陥ったこともあります。やはり戦後は、暮しくは貧しく、生活が苦しかったのもありますが、合気会の本部もバラックとして何十組もの家族に提供されていたのもありますし、合気道自体が知る人ぞ知る武道であったため、財政も苦しかったようです。紹介状が無ければ学ぶことが許されなかった武道でした。

また、養神館の設立により、養神館の知名度、企業のバックアップなどのサポートがあったため、人々の関心は合気会より養神館にあったようです。合気会は苦境にたたされることとになりました。

しかし我らが、植芝吉祥丸先生が画期的な改革、鋭い戦略、国際化に乗り出したのです。

合気道の一般公開、大学合気道の発足、地方への指導員派遣、合氣道関連の本の出版、合気会の財団法人化、組織としての形態化を図りました。合気会が大きく発展し、大学、町道場、海外道場、教育現場などに合気道が普及したのも、植芝吉祥丸先生のご尽力があったからなのです。

合気道開祖植芝盛平大先生は神秘的で武神のような方だったでしょう。合気道の創始、平和的武道の理念の提唱、開祖あっての合気道です。しかし、後世に伝える役目は植芝吉祥丸先生が大きく担い、合気道が愛されることになるのも、知ればこそ発展につながる事になります。

合気道は道統により、原点に帰ることができる唯一の武道です。何も知らない人が合気道をするのは無知なる赤子が無邪気に遊んでいるのと同じであると思います。合気道は道統により守られ、更なる発展があるのです。

合気道を稽古出来る環境はとても幸せな事であり、万人が稽古できる事は素晴らしいのです。合気道の原点を忘れてはいけません。我々は、いつまでたっても開祖、二代目道主、三代目道主の子供のような存在であらねばなりません。だからこそ、合気道の事はこうであるとか語るべきではないのです。本当に分かっているのであれば、言う人はいないと思います。自分にとっての合気道はあれど、合氣道そのものを分かった気でいて語る事は稚拙な事でしょう。

長々と書きましたが、苦境だった時期の植芝吉祥丸先生の悩みはは想像を絶するものでしょう。いろいろな板挟みもあったり、上手くいかなかった事もあったことでしょう。しかし、それらを乗り越え、現在の合気道の発展は植芝吉祥丸先生にしか成しえなかったのです。それが道統の宿命です。

合気会の歴史をもっと知りましょう。合気道への理解を深めましょう。得る事は必ずあります。後世に伝えるべき役目があるからです。

田舎2

徳島県は県西部の地域で暮らす徳志館の館長髙橋です。

前回は田舎編を書きました。今回ももう少し書きます。

徳島の夏の風物詩といえば、阿波踊りです。徳島のどの地域でも阿波踊りはしています。その熱気は控えめな田舎の人をも大胆にさせます。徳島の人口は73万人しかいませんが、何万人もの人が阿波踊りをしています。47都道府県でお盆に踊る県民は徳島県民やよさこいの高知県民ぐらいでしょうか?徳島の伝統文化です。

徳島の伝統文化に藍染があります。藍住は藍の里です。藍は染め方で色合いがかわります。涼しげでありながら上品な感じがあります。剣道の道着や、武道の袴も藍染の商品は高級感があります。

徳島を代表する清流、吉野川は徳島の池田から徳島市まで流れています。吉野川上流では、ラフティングが盛んで、夏には全国から集まります。

徳島の特産に、すだちがあります。徳島県民はいろんなものにすだちをかけます。卵焼き、味噌汁、さしみ、そーめん、天ぷら、焼き魚、さまざまな料理の引き立て役です。無ければ徳島の味覚ではありません。大体9月頃に収穫できます。私の畑にもすだち畑があります。

徳島は田舎です。しかし、田舎でも食、文化、自然は豊かです。そして、徳島県民はとても温かな人柄です。だからこそ、徳島県人の誇りをもち、この徳島から合気道を発信したいのです。

田舎

徳島県は県西部の地域は三好市2万5千、東みよし町1万2千の計3万7千人の規模の人がいます。そして、土地の面積が徳島の約5分の1ぐらいあります。

山に囲まれ、自然豊かな落ち着いた街です。まさに、田舎といったところです。

遊びに行くのも、香川県に行きます。決して徳島市には行きません。1時間半くらいかかります。香川の琴平では約35分で中心部に着きます。善通寺には45分。猪鼻トンネルが出来れば、10分短縮出来るそうです。丸亀には1時間ちょいで着きます。琴平、善通寺には身内も沢山おります。徳島県西部の人は、意外と琴平、善通寺に親戚がいます。近いからでしょう。

県西部は四国の中央部にあります。良く言えば四国四県簡単に行けます。ただ、行けるだけで、各県庁にはかなり遠いです。どこに行っても近くは田舎ばかりです。しかし、四国中央市、善通寺は人が多い方になります。

大都市、高松は2時間、松山は3時間、高知は2時間、徳島は2時間かかります。2時間は近いのでしょうか。車の移動時間の平均と言いますか、車の運転で遠いなって感じる距離は人それぞれです。北海道の方は、100キロは近所らしいです。2時間は平気で運転できるそうです。なんせ、北海道は四国が4個半入ります。まさしくでっかいどう。

生活には何の苦もない田舎。自然は素晴らしいし、野菜もうまい。渋滞がない。空気もうまい。人が少ないので、静かだ。地味なイベントしかなく落ち着く。オシャレをする必要がないので落ち着く。観光客が極端にいないので、静かで過ごせる。野生の動物が多く、共存してる感があり、微笑ましいと感じる。水がうまい。コンビニに個性豊かなアウトローな方を見ない。

不便な反面は、交通機関がほぼ皆無。飛行機の恩恵がない。徳島でるだけでも、2時間かかるので、旅行の移動時間が長いと感じる。徳島脱出に2時間・・・。ご飯屋さんのバリエーションがない。何を食べるのにも、フレンチ、イタリアン、洋食系。よくテレビで芸能人が食レポしていますが、東京の店を紹介されても、無いから感想が胸に響きません。当たり前に食する環境にないので文化の違いがありすぎてです。へたしたら一生口にしないかもしれません。

職業も田舎にはありません。大学も企業もありません。国際文化もありません。国際交流の場がありません。農業、建築土木、林業、製造、介護は盛んです。体が資本なので体は強いと思います。田舎の夜は早いので、遊ぶ概念がありません。真面目な人が多いので、あまり遊びをしません。基本どの方も家で晩は過ごします。都会のような刺激がありません。なので、子育てに悪い影響はありません。しかし、学力は競う精神がないので、実際都会の子とはかなり差があると思います。田舎はあまり、勉強に意欲的に取り組まない環境だと思います。

田舎の良し悪しあります。住めば都でありますが、やりたいこと、目標、夢の為には、積極的に出ていかなければなりません。そして、自分のスキルをしなければ自分を磨かなければなりません。

 

ない。無いがどうした

この世に必要なのは金である。これは、絶対であるが、金の為に死ねるかといえば死ねない。絶対に。しかし、金の為なら、人を殺しかねない人はいる。そういう人は、金に憑りつかれているのだろうか。お金は天下のまわりものである。お尋ねものではない。

私はこの年が大きな分岐であることを認識している。それは、おおきな決断をする事を意味している。吉とでるか凶と出るか。

大きな決断は、時に生活を大きく変えてしまう。自分の何かを犠牲にしなければ、達成できないこともある。犠牲は私生活であり、達成は夢、希望、志、等である。ロマンともいえる。

ロマンで現代社会を生きていくのは大変厳しい。現代はお金が掛かりすぎるからである。お金はいくつあっても足りないのがこの社会である。

私は金には無頓着、執着しない性質であるから、相当に家族想いではない。やはり苦労かけるのは、嫁、子供であろう。誰しもお金は欲しい。だが、それ以上に時間を有意義に使いたい。

母は56歳で亡くなった。生きていれば、64歳になる。孫の顔も拝めたであろう。癌の壮絶な苦しみの果てに亡くなった。亡くなったものは、二度と還ってこないこない。人生は片道切符と佐々木師範から教わった。価値観とは、人と違うから個性である。

私は合気道に生きる事を望む。四国中に合気道徳志館を、自分の合気道を広げれるようにすることが自分のやりたいことであり、自分の目標であり、夢である。

だから、金が無かろうがそれはそれ。無いがどうした。夢ならある。壮大な夢しかない。貧乏しようが、それがどうした。恐らく、一生金には縁がないだろう。その代り、一生合気道を続けよう。合気道を少しでも多くの人に伝えるために。

できた人

現代社会において、礼儀作法は大事なことであります。自分は出来ていなくても、他人が出来ていないと気になることがあります。

自分の理想は、自分に厳しく、他人に優しい人です。それこそが本当の実力の持ち主だと思います。

徳志館の門下生の方は、とても律義で穏やかで礼儀正しい方だらけです。故に、稽古がとても潤滑して効率が良いのが徳志館のウリです。

しかし、それは今の現状であり、今後門下生が増加すれば環境は変わります。それは、良い方面なら良いですが、あまり好ましくない方面にいく場合もあると思います。

それを修正するのも、館長の役目だと思っています。しかし、その修正も徳志館の問題、課題として解決することができる人材がそろいつつあります。

徳志館としての中で役目がある人です。言い方が少し硬いですが、つまりは、徳志館にとって大事な人。つまりは徳志館のこれからを担える人です。

徳志館も約15年を迎えます。その中で、合気道が好きな人が増えました。合気道で日常が豊かになった人が増えました。だからこそ、徳志館に対して愛情が芽生えるんだと思います。

これから徳志館は更なる発展をすることだと思います。新しく入会された門下生も合気道の面白さや楽しさを感じて欲しいです。

昇段審査

8月4日に高知県は正岡師範、舛田先生の道場に行ってきました。門下生の昇段審査をするためです。とても暑い中審査は行われました。

弐段が1名、初段が2名です。

審査は、初段から行われました。座技の一教~四教、入り身投げ、半身半立の四方投げ、立ち技に移り隅落とし、天地投げ、側面入り身投げ、天地投げ、小手返し、回転投げ、自由技3本。大体15分くらいの技をすることになります。

初段のIさんから、最初は緊張気味でしたが、美しい姿勢を貫き、落ち着いて審査を終える事ができました。最高の出来だったと思います。日ごろの成果がでていました。

続きまして、初段のOさんの番です。Oさんのリズムで合気道ができていました。日頃の稽古の成果をだし、よい審査ができたかと思います。2段に向けての課題も見えてきました。良い経験になったと思います。

2段のNさんは、落ち着いて、自分の持ち味をだし、精神、技、ともに充実した合気道ができたと思います。沢山の稽古を通じ自分のなかの中心を見つけたからではないでしょうか。3段への課題もみつかり今後に繋げてほしいと思います。

今回の審査も、門下生の想いが詰まった素晴らしい審査となりました。私としても、門下生の技の上達は喜ばしい事であり、合気道の発展には彼らのレベルアップは欠かせません。徳志館の為、徳島の合気道発展の為、次世代の合気道の発展の為必要なのです。

油断大敵

 夏の暑さにまいるこの頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか?私は左足以外は元気です。4月に痛みだしました。かれこれ、3か月たちますが、良くならないので、サポータを買う始末。少し安静にして完治させたいと思います。

 最近特に合気道に対して、色々考える事があります。それは、この今を更にどう改善するればとかです。徳志館の門下生は増加傾向にあります。増加傾向だからこそ稽古は楽しいし、賑やかです。

 しかし、油断はなりません。賑やかだからこそ、門下生に対して細心の注意を払っていないと駄目なんですね。合気道をさらに深く根付かせるためにも、イベントや大会も大事ですが、日々の稽古をいかに楽しく、面白くしていくのも指導者の努めです。

 そして、新しい合気道道場の展開。構想を考えて悩んでいます。この一手がこの先を変える一手になります。確実にいくか、大胆にいくか。

 理想と現実の狭間に揺れに、揺れています。もうブレブッレです。正岡師範と何度も話し合いを重ねて徳志館を大きくしたいです。徳島最大の徳志館、四国最大の徳志館を目指します。

 そして、更なる夢を・・・。

第一回合気道徳志館講習会 演武会 昇段審査会

日時:6月30日 10時~15時まで

場所:脇町武道場

参加人数:30名

感想

 沢山の門下生の皆さんに参加して頂きました。とても楽しい笑顔の絶えない大会になりました。合気道の昇段審査も行いました。みんながんばって昇段する事ができました。徳志館が一つになった大会となりました。来年は更に良い大会にしていきたいと思います。来年は50人の参加を目標したいです。参加した皆様ありがとうございました。

 私には夢があります。それは、道場を建設することです。合気道徳志館の専門道場です。週4回くらいできたらいいなあと考えています。

 50~60畳の大きさに事務所がついてトイレと応接間と更衣室を完備して風とお日さんがはいる明るい道場を作りたいと考えています。

 合気道神武錬成塾は立派な道場を2か所建設しています。道場の中は広く、小林保雄先生の大書された掛け軸が飾ってあったり、門下生の名札が掲げられています。そして、植芝守央道主の書もありました。とても貴重な品です。なにより駐車場もしっかり整備されています。

 合気道は道場があって稽古できます。ここで稽古したいが道場がない。又、借りれても融通が利かないことがあります。しかし、自分の道場なら問題はありません。

 白川先生の道場を訪れて、道場建設の優位性を感じました。なにより専用道場を持つことは誇らしいことです。一国一城の主です。

 しかし、自分がしなければならないこと。それは強い気持ちを持つことです。自分を信じる事です。その為にはかなりの修業をしなければなりません。体と心を鍛えなければいけません。

 道場を建てる!絶対に建てる!それまでに自分を磨こう。

合気道の力を

 来る6月30日に徳志館の初めての講習会(演武会)を開催することになりました。合気道徳志館のグループでの合気道の発表であります。

 私は、合気道の門下生の日頃の成果の発表と懇親の場として必要と思い、年に1回行うことにしました。徳志館の最大イベントです。

 そして過去に合気道の門下生だった人も参加が出来る大会と考えました。同窓会をイメージしてもらえばわかりやすいと思います。久しぶりの再会や久しぶりの運動が出来ればよいと。

 しかし、この考え方は甘かったのかと思う事がありました。

とある元門下生の方に案内をしたところ、「それはなんか違う」と言われました。

一体何が違うのか?

一度退会された方は、合気道の事を切り離した考えを持たれるのかと失望をしました。合気道部だった人はしばらくぶりに合気道をする機会があります。そして存分に楽しむ方は多いです。久しぶりだからこそ分かることも、当時の思い出もあるのです。

合気道をどの人も楽しめる機会を作りたい。合気道を離れたからこそ久しぶりに触れる機会を作りたいと考えました。離れても合気道に対する気持ちは同じだと思いました。共に汗を流し、心を通わせた同志なのだから。

それはなんか違う?その考え方こそ違う。合気道を通じて「義の心」、「愛の心」を育む事を目的として合気道はあるのだから!

合気道は護身術ではない

 最近Facebookとインスタをはじめました。世界で合気道はかなりの広がりがあることを知らされました。なんたることや。合気道は全世界で熱狂。しかもレベルは高い。なんたることや。

 その世界情勢に思う事ができました。沢山の合気道を見て感じたのです。

合気道はもはや合気道ではなくAIKIDOなのではと思います。合気道の世間一般的なイメージは護身術でしょう。私も護身術だと説明します。わかりやすいですよね。

合気道は開祖植芝盛平翁先生が創始された武道です。合気道は力を使わず相手の力を利用します。合気道は礼儀を重んじます。合気道は健康に最適です。という具合に説明ができます。

 世界では合気道は派手な技や流れるような技が好まれます。技がうまいのは確かです。しかし、技がうまいというのは護身術とは違うわけです。

 合気道は一体なんのなのか、合気道は誰のものでもありません。

私の持論ですが。

 合気道がその人の生活スタイルの一部であり、人格の一部であり、個性の一部でもあるとも思います。現代の合気道家の生き方も合気道であります。

 人の生き方は固定できない。自由だからこそ人生を謳歌できるのでょう。合気道は生き方ならば個性的で魅力的な生き方をすれば良いのです。

 そう考えると合気道は護身術と型にはめる必要もありませんね。合気道は人生だって答える方が聞いた人が「おおー。」ってなると思います。マネのすることのできないのが人生。合気道も真似をする事ができません。個人個人が大切な合気道を学べば良いのです。

合気道は楽しい!

 合気道は楽しい。合気道は何故面白いのか。合気道は体を動かし心を喜ばせています。合気道には定年がありません。合気道の稽古で大事なのは感動です。

 合気道という武道は難しい武道です。なのでなかなか思うようにいきません。だからこそ、合気道を愛せるのですね。追えば追うほど愛おしくなる合気道。

 合気道は心が楽しい状態にならなければ、本来の力は発揮できません。心は正直ですから。合気道は義務では出来ないのです。合気道を心から楽しんだものこそ真の強者です。

 毎日稽古しても飽きない武道。合気道を愛する人を少しでも増やせるように合気道の楽しさを徳島、四国に広げたいと思います。

池田道場開き&花見

 今日は昼から徳志館数名、高知から正岡師範と舛田先生をお呼びしてお花見をしました。山の奥の人里離れた場所でのお花見。とても風情がありました。ご近所さんも一緒にお花見をして、天ぷら大会もありました。

ウド、菜の花、タラの芽、ヨモギ、つくしの山菜の天ぷらに桜の花の天ぷらをいただきました。とても香り豊かで自然のうまみがあり、大変おいしく頂きました。師範も大喜び。よかったです。

 そして、池田の道場開き。脇町からも何名かの門下生が来てくれました。そして、久しぶりに来た子も。

 合気道で繋がる絆に感動しました。稽古は大盛況で終わりました。正岡師範にも沢山褒めていただきました。とてもよかったです。さあ、池田道場の最高の道場開きができました!最高です!