4月4日四国中央市川之江道場開始!!

 本日は四国中央市川之江道場の道場開きの日でした。新しい道場の誕生でドキドキさせながら道場に向かいました。川之江北中学校の武道場とご対面。 少しこじんまりしていますが、きれいで柔らかい畳でした。さあ、徳志館川之江道場の第一歩です!

 前日に新聞チラシを投函しました。合気道を始めたい人が集まるかどうか。しかし、それがまた楽しみであります。

 徳志館から2人の指導員と共に新しい見学者を待ちながら稽古をしていました。そして、何名かの見学者が来てくれました。やはり、見学者との合気道は最高ですね。思わず顔がにやけます。今回は見学・体験なので入門するかどうかはわかりませんがね!

 幸先の良いスタートをきることができました。川之江道場が沢山の門下生で溢れる日も近いのではないかと思っています。脇町道場や三好道場のように沢山の門下生で溢れ笑いの絶えない温かい道場にしたいと思います。さあ、がんばるぞーーーーー!

がんばろう徳志館

 現在の徳志館はとても元気一杯で楽しく稽古をしています。とてもいい傾向だといえます。だからこそ、この今を大事にしなければならないと思います。

 合気道を楽しむ門下生の方々、笑顔の絶えない稽古場。とても今が環境が良いです。だからこそ、徳志館を大きくすることが必要だと思いました。

 4月から道場が2つ増えて4つとなります。どの道場でも門下生が合気道で心や技を磨ける場にしたいと思います。徳志館は門下生の皆さんの力があってこそのものです。合気道を好きになってくれてありがとうと申したいぐらいです。それぐらい今の徳志館は熱いです。

 徳志館は私の舵で動いてます。しかし、私が消極的だったりとか、惰性で計画をしてしまえば、今の徳志館の輝きは陰ることでしょう。

 私の責任は重大です。合気道は徳島ではマイナーです。しかし、徳島の合気道、四国の合気道、大学の合気道を盛り上げ、合気道が一般の方の身近なものにしたいと感じています。身近なものになれば徳志館の輝きは更なる輝きを放つことでしょう。

 これからが楽しみであり、これからが徳志館の頑張りどころです。頑張ろう!徳志館!

遠慮

 さあ、遠慮はいらんかね~。遠慮はいらんかね~。内気なお客さんにぴったりの遠慮はいらんかね~。お安くしときますぜ。

 さて、冗談はさておき、遠慮ということをしたことはありますか?私は多々あります。買って余るくらいにしたこともあります。買い溜めしすぎると体によろしくない。

 私は遠慮家であり、自信家でもあり、合気道家でもあり、愛妻家でもあります。最近は物騒な世の中なので遠慮家は強くならなければなりません。人の目を気にするのは自分に何か足らないからなんですね。自信家の方は根拠もないのに自信に満ち溢れています。根拠なき自信。周囲を気にしない努力。無限に湧き上がるタフな精神。

 私は合気道の道場を運営しています。運営しているからこそ、自信家であらねばならぬと鼓舞しています。何故なら、門下生にとって先生は頼れる方として、お手本としてあらねばならぬと心しております。自分にとって正岡師範だったり、佐々木師範がそうであったようにです。

 絶大なる安心感、心地よさは道場長によるものが大変大きいです。徳志館はこれから大きくなります。なんの根拠もありません。何の確証もありません。

 この身一つが唯一の担保です。この身一つでやりきる。まかりとおす。奮起する。それのみです。あとは神のみぞ知るでありましょう。遠慮しているほど暇がない!それほどがんばらなければ!

これから

 徳志館が今年で15年目になります。15年とは義務教育が終わったぐらいですね。徳志館は皆様のお陰で大きく育ちました。しかし、まだまだ育ち盛りです。これからも成長していくことでしょう。

 徳志館はいつも会員さんに楽しんで頂ける合気道を心掛けています。どの道場も同じ想いだと思います。好きで始めた合気道の道場。15年が経ちましたが、合気道は奥深くまだまだ探求は尽きません。私は会員さんには合気道をするのが待ち遠しいと思わせる道場をモットーに頑張っています。少年部も一般も同じくです。

 合気道は素晴らしいと広める事。沢山の方に合気道を知ってもらう事。そして、合気道は楽しいと感じてもらうことが徳志館の役目であり、これからの道であります。

がんばろう。生きているから!

 この世は生きている人だけの世界であります。もし自分が死んでしまおうが、世界は変わらず生きている人だけの世界です。人は死を意識しては生活はしていません。死とは無縁のものとして生活しています。私もそうです。気を抜くとぼーっとしてしまいます。しかし、身近な人の死とは大変悲しいものであります。私の母は56歳の若さで病死しました。母も病気にかかるまではそうであったと思います。

 1969年4月26日合気道開祖植芝盛平大先生が入神されて早50年、植芝吉祥丸先生が入神され20年になります。合気道の礎を築いた方々のご尽力を思うと胸が熱くなります。今が自分の絶頂期であらねばならないと思います。常に今が絶頂期であり、常に強い気持ちをもっていないと胸を張れないような気がします。

 私は仁義を重んじ、感謝の心を忘れてはならないと感じています。この世を生きるために義理をたてるのではなく、自分が命を燃やして生きているからこそ義理に対して熱くなるのでしょう。大切な人生には大切な人達が関わってきます。決して一人では生きていけないのです。

 私は頑張ります。力で満たされています。沢山の方の支えがあってこその私であり、私も沢山の人の支えであらねばならぬと心よりそう思います。今よりも更に精一杯生きなければと感じています。

植芝吉祥丸先生

 私が尊敬する植芝吉祥丸先生について語りたいと思います。私は植芝吉祥丸先生の合気道は最高に美しいと思っています。そして今日の合気道の発展には吉祥丸先生の尽力によるものが大きいと感じています。

 吉祥丸先生は大学に合気道をもたらし、また、世界に合気道を発信した偉業があります。合気道は知る人が知るものだったのを世に広めました。当時の若手の合気道の先生を派遣されたそうです。沢山の困難があったと思います。改革者は大変であることだと思います。

 現在の合気道があるのは吉祥丸先生や全国の師範、大学合気道部を創設をした学生達、支援企業が築き上げたのでしょう。私はその苦労を知らず合気道をやっています。合気道はどこでも習えます。合気道は世に広がったが故に沢山の合気道が増えました。王道である合気会。そして養神館。心身統一合気道。岩間修練会。富木合気道があります。さらに恐らく自作された合気道もあります。たまに合気道で検索するとき出てきます。

 合気道はこれからも大きく普及することでしょう。私も合気道の普及に尽力したいと思います。吉祥丸先生が全世界に合気道を広めたお陰で今がある事を大事にして謙虚に合気道を楽しみたいと思います。

 吉祥丸先生有難うございます。美しい合気道を有難うございます。素晴らしい環境を有難うございます。吉祥丸先生の功績に感謝を忘れずに合気道を広めたいと思います。

誦句2

 前回髙橋の誦句を披露しました。誦句は大体2か月ほど前に作りました。それを実践しております。そうしたら、運命は導くのでしょうね。3月の後半に東北を代表する合気道神武錬成塾の白川勝敏先生の下で4日ほど稽古をさせて頂く事になりました。白川先生の御慈悲に大変感謝です。

 また今春から道場を2つ開設することになります。場所は3月にはいってから発表します。徳志館を大きくするには積極的行動と肚をくくる度胸が必要だと感じ得ました。

 いつか必ず徳志館だけで演武会、講習会を出来るように計画を立てていきます。合気道の団体としての活動の幅も広げたいと考えています。

 道場は決して勝手には大きくなりません。稽古の質・環境は勿論の事、道場を地域にアピールする事も大切です。なかなか難しいことではありますが、地道に合気道普及活動をしなければ道場は衰退していくばかりです。HPの更新も動画配信もそうだと思います。

 合気道はとても魅力がある武道です。合気道の素晴らしさを徳志館からも発信できたらと思っています。少しでも合気道を世の中に。合気道で世界平和を。

力の誦句

 中村天風先生のお言葉に力の誦句があります。

私は力だ 力の結晶だ 何者にも打ち克つ力の結晶だ

だから何ものにも負けないのだ。病にも、運命にも、

否、あらゆるすべてのものに打つ克つ力だ。

そうだ。強い、強い、力の結晶だ。

この誦句は、佐々木師範・藤田昭市先生により教えて頂いた言葉です。この誦句を聴くと力がみなぎるような気がします。口に出して言う事は素晴らしいと感じます。中村天風先生のこの言葉は心に響きます。心が広大無辺の大宇宙よりも広いのではないかと思われ、心の大切さを発見した哲人です。

 私はなんと心を広く使い、心の強い人だと思いました。この方が活躍したのは昭和激動の時代。高度経済成長を成し遂げた日本人の心に突き刺さり、多大な影響を与えられました。著名人も合氣道家、一般人にもです。

 私も言葉に出したいと思います。夢で終わるかもしれません。達成出来ないかもしれません。しかし、強く願い、己を信じ、道を切り開くために。

 私はこれを達成する。

合気道で明るい人生を切り開く。合気道で徳島、否、四国、否、全国、否、世界と繋がる。

合気道の持つ魅力を学生に伝える。合気道で社会に貢献をする。合気道の可能性を広げる。

全国の合気道を勉強する。合気道をより深いものにする。合気道で生きる。

 これを髙橋の誦句としていきます。言わなければ実現しないし、達成しませんから。

 

うつくしい合気道

 美しいという表現があります。合気道は美しい。合気道の技が美しい。美しくなるために合気道をしている。どれも当てはまります。合気道は美しくするのだと佐々木師範がおっしゃられました。何故美しいと良いのか。それは、美しいには力があるからです。

 流れる動きに豪快な投げ、姿勢、たたずまい等です。それにはかなりの時間をかけた稽古量があります。いつまでも稽古は大事です。私は日々の稽古で美しく合気道をするために指先の動きまで集中しようと心がけています。

 私は、力強い合気道、達人のような合気道、カッコいい合気道、感動する合気道、美しい合気道、沢山あると思いますが、選ぶとしたらやはり美しい合気道だと思います。あくまでも私見ですが、美しい合気道はとてつもない力があると思っています。人を惹きつける魅力があります。

 徳志館の技が美しくなれば更なる会員さんのレベルがアップできます。会員さんが合気道を好きになり、もっと合気道の良さを知ってもらえればもっと合気道に対して熱心に稽古に来てもらえる道場に出来るのではないかと考えています。合気道は本当に素晴らしい武道です。私の技はまだまだ未熟であるがゆえに会員さんには申し訳がないほどであります。私の人徳、力不足が今の徳志館の欠点だといえます。会員の皆さんに合気道をしてよかったと思える道場に早くしなければなりません。

 更なる稽古量と技術を求め己の合気道を確立したいと心より思っています。まずは私の意識改革からだと思います。

一日が早い

 今日できる事は限られていますね。日々の積み重ねが今を形成します。なかなか日々を大事に生きる事は難しいです。体力も体型も日々の積み重ねですね。いきなりマッチョにはなりませんし、いきなり頭も良くはなりません。

 徳志館も15年頑張ってきました。早いものです。しかし、これも門下生の皆様やそのご家族様、佐々木師範、正岡師範、舛田先生、兄弟子、各先生方にお世話になって今があります。その感謝は忘れてはならないですね。いつも稽古中や普段の時でも感謝を忘れないように心掛けています。

 たまに布団にはって目をつむって眠りにつくときに、合気道をやっていてよかったなーって思いながら眠りにつくときもありますし、仮に合気道に出会ってなかったら恐ろしいと感じて眠れなくなります。合気道のお陰で今があるので15年がんばってきてよかったなって思います。

 日々の積み重ねが歴史を作り、その軌跡は苦労と苦悩が下地にあります。あんなこと~こんなこと~あ~ったでしょう。15年はあっという間でした。しかしこのあっという間に出来なかったことをこの今からやろうと思います。それはチャンスを掴むことです。

今が自分にとって最大のチャンスだと感じています。チャンスの神様は快速で過ぎ去るそうです。チャンスをものにできるかどうかわかりません。しかし、あきらめたり勇気を出さずにいたら、後悔しかありません。明日やろうと思わず、失敗を恐れず、感謝の気持ちを忘れずガムシャラにいくだけだと思います。だから、悠長にしている時間はありません。迷う時間ももったいないですね。今日も一日とにかく早いものです。だからこそこの一瞬が青春でなければなりませんね。

死とは

 先日、同郷の大先輩である白川勝敏師範もこのHPをご覧になられておられました。白川勝敏師範は東北最大手である合気道神武錬成塾の塾長であらせられます。多感録もご覧になられているとの事でした。誠に恥ずかしい反面、恐悦至極であります。私は、合気道について日々考えています。いろいろとです。その時に合気道神武錬成塾様の事は頭の片隅に必ずあります。私は少しでも当会を盛り上げたり、門下生が合気道を楽しめる事を一番に考えています。だからこそ白川師範の道場が気になりますし、技や精神は勿論、指導法、概念、道場の発展の仕方は私の理想なのです。

 今はまだまだ全然足元にも及びませんが、必ず追いつきます。志を立てていきたいと思います。私なら絶対できると信じています。

 では、本題です。死についてです。私は小学校の頃に死について考えたことがあります。別に自殺したいとかいう事ではありません。死んだらどうなるんだろうと考えただけです。その時は親に会えなくなるとか、学校に行けなくなるとか、痛いのかとか思っていました。不安になりました。しかし、子供は単純なので、アニメを見たらすっかり忘れてしまうのです。きれいサッパリと。そして次回の妄想を勝手にしてしまいます。

 現在の自分が死について考えてみました。今の自分の考え方は佐々木師範の影響が多大にあります。死とは何ぞやと問われれば、今日生きていない人と答えます。死んだらどこに行くんだと問われれば、明日の世にいったと答えます。生きるとは死ぬよりも難しいと教わりました。なるほどと思います。死とは今をどう生きるかによって決まり、一生懸命に生きて生き抜くことが武士道だとおっしゃられました。

 私は、死とはその時に考えようと決めました。即ち、死について不安に思うより、生きることについて不安に思い、解決しようと思います。今をどう乗り切るか。今をどう明るく生きるか。今をどう感謝出来るかです。

 死は身近で切り離せないものです。一生に一度しかありません。だから、それまで大事に生きたいですね。大切な人と共に。

大好きな合気道

 今日はシンプルに合気道の事を書きたいと思います。私にとって合気道は私の人生のかかせないものになりました。合気道で自分を見つめることができました。合気道の事を考えない日はありません。合気道の技はもちろん、子供達、一般、師範、運営、授業、道友などの事を考えています。

 人生は短く、あっという間に過ぎていくものです。今日もあっという間です。気付いたらもう夕暮れ。お家に帰って夕飯を食べ、風呂に入って寝て朝が来ます。

 1日は本当に早いです。大人になればなるほど時間は早く進んでいるように思えます。ついこないだまで正月だったのにとか。数年前は痩せていたとか。半世紀前は男前だったとか。

 私は悩み事や心配事があっても合気道をしていると忘れます。そして、勇気が出ます。頑張れます。それは、高知で合気道をしている時からかわりません。大切な合気道です。この大切な合気道を沢山の人に伝えたい、楽しみたいと感じています。

 私にとって合気道は毎日やってもあきない武道です。だから、毎日でも稽古したいです。一生かけて人生かけて合気道を必死にやっていきたいです。




ゆ・ゆ・ゆ・有名人

 多感録3が始まります。がんばって書きたいと思います。

 私は有名人ではありません。しかし、知っている人には知られている有名人です。誰が知っているかと言いますと、家族・親戚・近所・同級生・合気道の門人などぐらいです。

 有名人とは名の有る人と書きます。誰にだって名はありますので、有名人なわけです。しかし、人に沢山その名が知られる事が有名人の本当の意味ですが、意味あっても意味なしです。何故なら、何かをしたから知名度が上がったわけです。悪名も有名人であります。この広い世界で有名人ほど不自由であります。愛想を振りまき、人の目を気にしなければなりません。

 この徳島で有名人となっても全世界で有名人になったとしても、実はただの人。決して大層なものではありません。人は人にしかなれない。生きる事は飯を食べ寝る事。そして、老廃物をだすことです。このシンプルな生理的条件が動物であります。

 佐々木師範から、人は笑う生き物だ。その笑顔が人を明るくさせ、人生が明るくなるとおっしゃられました。私は佐々木師範に「髙橋はこれからだ。有名人は無力であり、生きにくい。無名だが有力であるのがいいんだ」と助言を頂きました。そして、色紙に有名無力、無名有力と書いてプレゼントしてくださりました。

 私が出来ること、それは笑える合気道を作る事。笑いあえる仲間を作る事。だから、私は髙橋に生まれてきたのでしょう。多くの髙橋さんの中でも変わった髙橋さんかもしれない。それも良し。