明るく積極的に生きる事が人生には大切である。
積極性は人生を強くする。いかに否定的、疑心的な心を抱かないかであり、一切合切の不安要素を体から吐き出すべきである。心が自分を大きく作用し、人生を豊かにするかを考えなければならない。
この積極性の重要性を説いているのは、哲人 中村天風先生である。佐々木将人先生から中村天風先生のお話を幾度かお聞かせいただいた事がある。
人生1度きりしかない、時間は2度と帰ってこない。やると決めたら腹をくくって実行あるのみ。
心が人生を豊かにする。心が人生を変える。この心の在り方をいかに自分のものにし、自分の心を強くする。
そうわかっていても、実行するのは難しい。心の中から素直になろう。
コロナの影響で、文化やスポーツの危機に迫っている。終息の見えない日々。まず大事なのは生活である。安全である。
文化やスポーツは娯楽、平穏だからこそ成せることだという観念が強い。平和だからこそ文化が豊かである。いかにコロナ騒動前が幸せに満ちていたかと思う。
再び平穏な日々が戻ってきていても、おそらく文化やスポーツに熱は前と比べて劣るだろう。会社の倒産と同じだ。熱心にされている方でも熱は冷める。
しかし、文化・スポーツの魅力は時代を変える力がある。やがて人は戻ってくるだろう。すぐではないかもしれないが。
今回の政府の対応は後手後手の対応であり、コロナ拡大を招いていしまった。補償もままならない。生活が破たんしかねない業種も沢山あるだろう。政府は国民の痛み知っているのだろうか?
オリンピックも大事であるが、オリンピックを優先させてしまい初期消火を怠ったのが、一番の人災と思う。もっと早く抑えられたこのコロナ。海外旅行者も貿易関係ももっと早く手を打てばスムーズに鎮火できたと思う。
政府の対応がコロコロと変わり、振り回される国民。マスクを全世帯に2枚配る政府。補償を明示しない政府。どんな政府やねん。日本の頭脳がまるでコンクリートだ。ケチなのか?税金はあなた方の貯金ではないよ?国民から集めたお金である。
どの国みても、真剣に取り組んでいる。日本はなんかあまい。法律や税金システムはしっかりしているのに肝心の役人が役に立たない。こればっかりはどうしようもない。これでは政治に関心のない人が増えても仕方ない。政府は税金徴収は世界一だろう。しかし、支援は世界最低だろう。なんでやねん。
日本の経済、世界の経済が衰退している。自粛の影響で沢山の産業が回らない。物を買う、食べる、乗る、遊ぶ、観る、聴く等のサービスが受けれない、提供できない。需要と供給が共にない。
それは、大なり小なりどの分野でも影響がある。公務員以外は・・・。
徳志館でも合気道の活動を自粛している。合気道を自粛すると当然徳志館への会費を納める必要がない。当会は会費は全国でも格安に設定している。
徳志館の財政は圧迫し続けているが、この状況において、徳志館は最善を尽くさなければならない。それは、安全である。徳志館の門下生にも医療従事者はいる。お年寄りを抱えている家族もいるだろう。我が子も幼い。感染は拡大させてはいけない。
笑顔で合気道が出来るのが一番である。その為には、軽率な行動はとれない。
だからこそ、門下生の行動を信じるしかない。人混み、不要な外出、手洗い、うがい、咳エチケットを守って欲しい。旅行は下の下がする事である。死にたければ行けばいい。そんな人は徳志館にはいらない。そんな人は退会しかない。徳志館の精神をもって暮して欲しい。
徳志館は心の美しさ、我慢の精神、思いやりの心を教えている。その力をいかんなく発揮し、門下生の皆が笑顔で合気道をできる日を楽しみにしている。
私の20代はお金で苦労した。その苦労は一生忘れない。しかし、その経験は自分の価値観や根性として生きている。生活の知恵も身に付く。しかし貧乏は敵ではない。
自分の価値観として、何が大事かと考えると、信念や志になってきている。その信念や志の土台になっているのは苦しかった20代の貧乏が非常に大きい。
私は自分が選んだ道を自分の手で切り開きたい。自分の考え、直感、自分を信じて自分の全てをそそぎたいのである。お金を稼ぐよりも最高の御奉仕をしたいと考えている。お金はあくまでも、最低限のあれば構わない。イイ服や高級食材、高級車、高収入などには目もくれないで、人の為に生きる。
お金は欲しい、しかし、それ以上に巨額の借金をしてまでも自分の道場が欲しい。自分の生き方を貫ける最高の生き方とは、貧乏してでも己が納得することが自分の美学である。
人こそ最高の財産であり、自分の同志、パートナー、ライバルがいてこそ自分の生きた道を彩る。決して日々をおろそかにしてはいけない。どんな状況に追い込まれても。
自分は何をこの世に残せるか。それは決してお金でも名誉でもない。自分の生き方、考え方を大事にな人に伝える事しかできない。自分が思う美学を伝える事こそ、自分の使命である。
私にはお金が無かった暗黒の時代があった。それは20代のころで、母と一緒にうどん屋をしていた。当時の給料は月3万円。ガソリン代やちょっとした出費にすぐに消し飛んでいってしまう額であった。年金もまともに払えなかった。朝、昼、晩も自分の所でつくっているうどんを食べた事もしばしば。そして、合氣道の道場を開設したので、お金は稼ぐどころか大きなマイナスであった。なのでお金の稼げず当時3年間で100万の赤字がでていたように思う。
お金は欲しいが、それよりも自分の納得する事、意地を貫き通す事が美学に思っていた。
父が強制的にうどん屋を建てたので借金に日々追われた。あまりのお金の無さに夢にまでお金に苦しんで目が覚めた事があった。しかし、母の役に立つことだと想い、一生懸命に働いた。毎日毎日休まず働いた。しかし、ある時更なる困難にぶつかった。
それは、母の癌であった。恥ずかしながら、病院に行くお金が無かった。平成の時代でありながら、貧乏に苦しんだ。髪を切る金も、服を買うお金も、本を買うお金をもケチっていた。そして母は立つのが困難になるまで働いた。日々病院に行こうとお願いしたがお金が無いという理由で断わられた。
私は、貧乏のどん底を味わった。母を失った。労働地獄も味わった。まさに暗黒の時代であった。しかし、私には合気道があった。
私には合気道がすべてであった。それほど合気道を愛している。こんなに紳士に向き合ったことは無いものであり、合気道で子供達を育てる事、恩師の技や心を広めたいと人生を合気道に賭ける。
今、夢が叶いそうである。このまま夢に終わらない事を願うばかりである。
徳志館は現在3か所で合気道をしていますが、コロナウィルスの影響で自粛しています。川之江道場だけは稽古をしていますが・・・。
合氣道を週2しかやらないのはほぼ10年ぶりです。夜の時間がもったいなく感じます。やっぱり合気道が大好きなんですね。世界一面白いんです。
なので私にとって合気道はかけがえのないものです。私の全てです。だから、週2だけしか合気道ができないと体がなまってしまいます。合気道が恋しいとさえ思ってしまいます。
活動が自粛している門下生の皆様も合気道が出来ないストレスが大きんじゃないかな?と思います。合気道は世界最高の処方箋ですから。心と体を元気にしてくれます。
早くみんなと楽しい合気道がしたい。最高に楽しい合気道が!
ついにWHOからパンデミックが発令されました。そして、甲子園大会の中止。いろいろな大会やイベントが中止となりました。TVでは、毎日のように報道しています。
不思議に感じている事があります。それは報道の質かもしれません。どうしても疑問に思う事があります。
まずは、感染者情報について、毎日増加しています。それを毎日比較しています。そりゃそうだ、診察した人が増えたらそうなる。2月には1日100人くらい診察していたとしたら、今日は1000人が診察。そりゃ増えるはず。しかし、単純に増加数しか表示されない。相対的な関係をも記載すべきである。割合を教えて欲しいところであります。
そして、回復者の情報。軽度からの回復なのか、重度からの回復なのか。年齢とか。そもそも回復をしている人の情報提供が少なすぎる。徳島の感染者は1人ですが、回復しているのにもかかわらず未だ感染者数に入っている。豪華客船の乗船者らしいが、未だに感染者の部類にいます。ある意味誤報です。回復したのならば感染者の欄から外すべきであります。
感染者に対しての扱いについてに疑問があります。感染者は好きでかかったわけではありません、しかし感染者に対しての行動を非難する傾向があります。そして感染者が回復した後でも世間は冷ややかです。かかったのは仕方ない。回復おめでとうと何故そうならない。
自粛ムードが止まりません。徳島の県西部でも都会並みの厳戒な自粛があります。人口密度自体が低すぎるくらい限界な地域なのに、自粛をしなければならない。確かに自粛は大事ですが、人の濃厚な接触は厳しいですよ?人がいなさすぎて。自粛政策以前に過疎政策を。何も警戒しなくてもこの田舎では普通に暮らすことができます。普通に暮らすことができるくらい過疎地域です。マスクやうがい、手洗いは必ずするとしても、自粛が必要なくらいの人口が欲しいです。
少しでも早く収束し、日常に戻れることが必要です。その為には、ワクチンの開発や行動の制御も必要です。しかし、回復者の名誉の回復も大事です。日常の有難さを感じる今日この頃です。
徳志館は沢山の子供達が日夜稽古に励んでいます。鍛えれば鍛えるほど力が付きます。さらにライバルが増えるとまたレベルが上がります。
私にもライバルがおりました。しかし、それは遠い昔の話です。毎日の如く稽古していました。通常稽古が終わり、自由稽古の時には必死に稽古を励んでいました。本当に合氣道が楽しくて仕方ないんですね。体力に自信もありました。
今年で39歳になります。ライバルはいません。ライバルはいませんが、仲間はいます。そして、目標もあります。夢もあります。
今からが最大の分岐点かと思います。何をしたいか。何ができるか。勝負の1年になります。最高の環境を整備したいと思います。
今からこの5年間が正念場です。そんな毎日を過ごしています。
久しぶりの更新になります。申し訳ございません。久しぶりなので無題で行きます。ノープランでいきます。
最近、新型コロナウイルスが日本を揺るがしています。政府も動き出しています。危険だとは思いますが、あまりにも警戒しすぎると何もできないと思います。うがい、手洗い、消毒をさけ、人混みをさけるようにすればあまり問題がないと思います。個人的な意見ですが・・・。
少し前の話ですが、39℃越えの熱がでました。びっくりしました。病院に行き、診察をするとただの風邪。薬を頂き休むことに。しかし、コロナウイルスが流行している時に紛らわしい。
そして、妹が秋田に帰りました。11月から第二子の出産の為に実家に帰省していました。私はそのサポートをしていました。身内の仕事として。楽しかった4か月もあっという間に過ぎました。本当に家族の大切さがわかりました。幼き日の話とかこれからの話とか沢山の話ができました。かわいい甥と姪と一緒にいれて良い思い出になりました。次に会う時が楽しみです。
息子の遼舷がこの2月22日で3歳になりました。なんか感慨深いものです。彼が大きくなり合気道家になってくれたらうれしい限りです。
では、また次回。
今年もあと少しですね。私が今年の合気道の出来事をランキングにしてみました。
では、5位から
5位 四国中央市合気道道場開設
四国中央市で道場を開設しました。ちょっと遠いですが、やりがいのある道場です。かなり可 能性のある道場です。
4位 第一回徳志館講習会
6月30日に行われました徳志館の講習会です。沢山の方のご支援のお陰で大成功をおさめまし た。来年の大会は更なる良い大会にしたいです。
3位 高知県合気道連盟演武会・全日本合気道特別講習会
10月に高知県立武道館で植芝道主の講習会が行われました。沢山の方と合気道をしたのがと ても良い刺激になりました。
2位 開祖没後50周年記念講習会
和歌山県は田辺市でおこなわれた開祖没後50周年の記念講習会に少年部の子達と参加してき ました。沢山の方との合気道はとても充実した稽古となりました。開祖の足跡にも触れる事が できました。
1位 合気道神武錬成塾に訪問
合気道神武錬成塾の塾長の白川勝敏先生の合気道に触れ、合気道の可能性を教えて頂き、また 合気道の奥深さ、稽古をつけて頂きました。とにかく素晴らしい体験をさせて頂いたことは宝 となりました。
以上が私の合気道における出来事ベスト5です。来年は更なるイベントを打ち出したいです!
チャレンジ精神を忘れない38の秋。これからが本番の人生。さあ、やるべし。
では、前回の続き。
氷河期の時代と書き終わりました。その続きです。合気道徳志館は地道に稽古を続けていくことしかできませんでした。とくに大きくするとか、講習会を開くとかはまだまだ縁遠い道場であったと思います。丁度その頃2008年くらいかな?世の中の動きに、中学校で武道必修化が正式に決定をし、2012年に全中学校で実施されることとなりました。
まさにビッグチャンス到来と思いました。合気道を広める事や、自分の可能性を見出すチャンスだと思いました。しかし、そう簡単にはいきません。なぜなら、県の教育委員会にとっては、合気道は武道では無いらしく、柔道、剣道、相撲が主流であるといわれました。あきらめる訳にはいかない。
しかし、あきらめずに資料を作り、色々な人にアドバイスをもらい、幸運にも合気道神武錬成塾の塾長白川勝敏先生とも繋がることになるとは夢にも思いませんでした。そして、熱意が伝わり、東みよし町の川原教育長のご尽力により、三好中学校で合気道が選ばれました。
平成23年から現在までなので、約8年となります。今も継続中です。
そのお陰で、月刊武道に2回原稿を掲載させていただきましたし、地元の新聞にも2回乗りました。四国放送にも、ローカル放送にも取材がありました。とてもよかったです。
合氣道徳志館の規模もゆっくりですが、これから大きくなります。では次回に続く。
いつまでも心は、20歳。体は年より少し若い。私の体力の低下が叫ばれている今日この頃。
前回の続きです。
脇町道場の設立まで話しました。徳志館の稽古場所は人口1万人ぐらいの小規模の東みよし町の町道場でした。しかし、人も集まり少しずつ活気が出てきたので他の地域での第二道場を検討する事に至りました。
そこに、脇町が候補に挙がりました。距離は大体30キロ程。40分以内で着きます。そして、稽古開始。最初はオーストラリア人、アメリカ人が3名と英語の先生しかいませんでした。その後、武道館を建て替えとのことで使用不可能となりました。
徳志館が設立して約7年たった時でした。氷河期時代から抜け出せない時代・・・。次回に続く。
今年で38歳となりました。しかし心は20歳。
合氣道を始めて来年で20年、徳志館は15年になります。逆算すると24,5くらいで道場を開設したことになります。24,5の若造は38歳の若造になりました。当時は合気道の道場を開くことに対してあんまりわかっていなかったと思います。色々と
合気道の道場の経営の方針や理念、組織作りなどに対して手探りで始めた結果、大きなミスをしていました。それは、自覚が足りなかったことが一番の原因だと思います。
まずは、どんな道場にしたいか、どういった組織を作るか、稽古方針、運営方法などです。当時は誰も教えてくれませんでした。15年前までは合気道道場はインターネットにもあまり掲載している所は少なかったように思えます。現在ではほとんどの道場がHPを持っていると思います。
手探りでは、何をしても空回り、どうあがいてもうまくいかない。3年間変化なくじっと我慢して自分を信じることしかありませんでした。。赤字も大きくなり、我慢の限界に近づいたころに、ようやくぼちぼち門下生も増え始めました。
しかし、田舎の中の田舎、道場を増やさねば更なる発展は無いと感じた私は、脇町道場の設立を考えました。
次回に続く・・・。
心が体を動かすと佐々木師範に教わった。佐々木師範も中村天風先生に教わった。私自身も心が体を動かす経験は何度も体験している。
私の場合は、やはり合気道。合気道をした後とする前では心の軽さがまるで違う。合気道する前に心が疲れていても、いざ合気道をすると心が満足する。よって体が軽くなる。
合気道は私にとっては心を軽くする処方箋である。かなり効く。
合気道は面白い。深い。人と繋がっている。世代を超えて人と繋がる事は稀有であり、合氣道の特性である。合気道だけではないのだが、人と人が集まるコミュニティーを私が作れたことはなんとも感慨深いものを感じる。
合気道徳志館を創らなければ、今の子供達に出会わなかっただろうし、幾多の歓び、困難に出会えなかったであろうと思う。人生において合気道は切り離せないものになったのだ。
徳志館の運営において、イベント事は大仕事であるが、私にとっては遊びであり、ワクワクする事のほうが大きい。やはり、人の笑顔や喜びが力となり、私を動かしているのだろう。
心が私を動かす。心が徳志館を動かす。心が時代を動かす。心の素直なままに動かされていくことの大切さがこの今に分かった。この今を大事に、感性を大事に、人を大事にしていきたい。このことが分かったから合気道には感謝しかない。恩返しを一生かけていかなければならない。
多感録も5まできました。もうすぐ1年になると思います。まだまだ書いていきます。ありがとうございます。
では、本題。合気道の団体は2000年代に入ってかなり急激に増えたように思います。実際、自分も2005年に道場を立ち上げました。当時24歳ぐらいですね。今が38歳。約14年前。合気道2段でした。当時はインターネットでHPを作る人はごくわずかだったっと思います。
京都には入江先生。大阪には町田先生。島根には中島先生。愛媛の宮尾先生。もちろん仙台の白川竜次師範。30代、40代の先生が全国で頑張っています。他は私が知らないだけです。申し訳ありません。沢山いるのでしょうが情報がないのでわかりません。
開祖没後50年が経ち、合気道の人口がものすごいことになっていると思います。私が合気道にであったのが、約19年前です。高知工科大学合気道部は大体30名くらい在籍してました。高知医科大も20名ぐらいだったと思います。他大学もそんなに少なくなかったと思います。毎年、学生から合気道を始める方が増えてきています。私もその一人だったわけです。
合気道はどの年齢になっても始めやすい武道です。下地がなくても大学から始めれます。合気道はまさに現代の武道だと思えます。いろいろな方法で始める事もあります。
しかし、そこが弊害が生まれる要因でもあります。合気会で師範の下で稽古した先生方は、しっかりと自分の技を磨かれ、次世代に伝達する力を持っていると思います。残念なのは、なんちゃって合気道もどきです。養神館なり、心身統一、岩間修練会などでしっかり稽古されたなら良いのですが、インターネットの通信教育で学んだり、少しかじった程度で合気道団体を立ち上げられる方も世の中にはおられるそうです。
私は別に気にはならないのですが、開祖はどう思うだろうとか、吉祥丸先生はなんていわれるのだろうとか、守央道主はいかなるお考えをお持ちだろうか?と思ってしまいます。
合気会の合気道は師範を大事にする会だと思います。師範の想いがその会の指針であり、師範と共に最後の最後までついていくのが、合気会の合気道だと思います。どんなに年月が過ぎようが、その立ち位置は二度と変わらない不変の愛です。だからこそ合気道の未来は明るいと思います。我々は、師範の子供だからです。